 |
ひさつ 𠮷(松)~(人)吉+きっと鶴丸 2021.11.03 Ver1.01 |
あっという間に遙か昔になってしまった2006年の肥薩線の旅を思い起こして。
果たしてこの区間は復活する気があるのか?車窓から観た思い出の雲海の季節・・・。
※一部を除き、手抜きのため、撮像素子の画像をそのままリサイズしていますので、
傾いたりしています(苦笑) 使用機材:C社30D |
 |
↑竹田城址の雲海がこのところ有名だが、肥薩線の車窓から見える えびの盆地の雲海も素晴らしい |
人吉駅と周辺スナップ |
 |
↑ KT-201 宝くじ号 |
 |
↑KT-103 |
 |
↑KT101+103 |
 |
↑KT311 |
 |
 |
 |
↑九州横断特急 |
 |
 |
 |
 |
 |
↑↓撮影時は2編成が2連で運行されていた末期の時代かも |
 |
 |
 |
 |
 |
 |
 |
 |
 |
↑ ヘッドライトにレンズ玉が反射して、ホーム柱の根元にカラー行灯が2つ |
 |
 |
 |
 |
 |
↑レンズの内玉大乱反射事件勃発 |
 |
 |
吉都線 吉松駅~鶴丸駅先 ※鶴丸温泉頁と重複写真あり
吉都線は水害のダメージは無いが、平行する高速道路、一般道路が整備されて挟み撃ち状態。乗客の減少が激しい |
 |
 |
↑↓ よく見ると車体が垂下している |
 |
 |
 |
 |
 |
 |
 |
 |
 |
 |
↑↓倒木防止のために駅周辺の木々が伐採されたと、鶴丸温泉の女将さんから聞いた。柿の木は?? |
 |
 |
 |
 |
 |
|
これが肥薩線初めての乗車時だった。化けペン1台しか持たなかった時期が長く、
資金の関係で撮影コマが少ない。この3コマ
|
 |
↑いさぶろう側↓しんぺい側キハ31-14
国鉄最後の民営化プレゼントのような車両であった。 |
 |
「我田引鉄」という言葉が明治時代から一時期流行した時代があったが、まさに肥薩線はこの時代に頭の回転が良い方々の賜だと思う店主。
「敵国の艦船の砲弾が海沿いの線路を破壊する恐れ」があるからと軍の意向で山の中に線路を敷設した。というが、マトモに考えれば鹿児島本線の熊本~八代、隼人から鹿児島までは全部海に近いか海沿いである。
この区間は防衛できるのか。さらに言えば久留米のあたりから山越えも必要かもで、やっぱり頭の良い理屈で大臣は当時から偉かったで、山奥の人吉盆地まで線路を引き込んだのではないか。
人吉で終点にしたら単なるローカル線。山越えして鹿児島側に出て幹線機能を持たせる。という構想なら反対しにくいだろう。という当時の高等戦術であったのではないか。
後刻、海沿いの線路が開通するが、この山中に線路を敷設の理屈は中々である。
この「敵国の艦船の砲弾が海沿いの線路を破壊する」がまことしやかに語り継がれ、情報過疎のの時代故、噂を怖がった引き揚げ兵が肥薩線経由の列車に乗り込み、満員の列車はトンネル内立ち往生、煙充満、暗闇の列車退行で大惨事を時引き起こしたことになる。なんともはやで亡くなった方々はさぞかし無念であったと思われる。合掌 |
 |
|
再び肥薩線 吉松駅→大畑駅方向 |
 |
 |
 |
 |
↑経年が進んでいる・・・。 |
 |
↑省力化のために鉄枕木を敷設したようだが、その後はどうなったのだろうか |
 |
 |
 |
 |
 |
 |
 |
 |
 |
 |
 |
 |
 |
再開したら初冬早朝の列車にまた乗りたい・・・。
でも、災害不通になる前は一日一往復の惨状になっていた・・・。
で、この区間の具体的な被災状況を店主は知らない。
¥¥¥的に八代~人吉間がBRTとかになったら、もう無理かも・・・。
でも、復活を祈念しつつ、素晴らしい車窓と沿線を思い出して掲載
真幸駅を中心にした2021.11現在のGoogleから見る鉄道沿線の道路状況 |
|
|
|
※店名略称:フィルムスキャンs、通称店名:鈴木写真変電所
Copyright(C)2010.04 フィルムスキャン&プリントのS All rights Reserved |