フィルムスキャン&プリントのS、 鈴木写真変電所
 西鉄北九州線廃線跡を歩く(魚町~到津車庫付近)
 小倉駅前~大門 へ  大門~金田へ    金田~到津車庫方面へ
平和通り交差点(小倉駅前電停付近)から大門まで 
魚町から井筒屋方向 魚町~平和通り方向
↑ 砂津方より平和通り交差点、魚町方向 ↑小倉駅前電停付近から魚町方
 魚町電停 銀天街入口
 ↑魚町電停上下とも同じ位置で車は一方通行時代
小倉市街昭和27~36年頃
 ↑S27年発行 ↓S46年発行 約20年間の小倉の変化
北九州市小倉区の市街 昭和46年頃
 UOMATI
 ↑銀店街の信号を通過せんとする。
魚町~井筒屋方向 魚町~井筒屋方向 遠景
 ↑平和通り交差点方向から魚町電停井筒屋方。銀天街屋根  ↑左側入ルが北方線魚町終点。
西鉄北方線 魚町部分 井筒屋から紫川方向
 ↑このあたりが北方線魚町終点。歩道が拡幅されている。  ↑井筒屋前から紫川方向
西鉄北方線 魚町終点付近 
 ↑北方線が出ていた道路を見る。
 井筒屋付近から魚町電停 銀天街方向
西鉄北九州線廃線後拡幅された紫川の勝山橋 西鉄北九州線廃線後拡幅された紫川の勝山橋
↑紫川にかかる勝山橋に隣接した橋梁?「勝山公園」という名称  ↑こちらが勝山橋。当然掛け替えられているはず。
西鉄北九州線廃線前の紫川勝山橋 
 ↑紫川を渡る
 西鉄北九州線廃線前の紫川勝山橋から上流方向
 ↑紫川。左は井筒屋。その先に記念病院があって病弱な店主は白タクとともにお世話になったことも。
病院の帰路、店主はフラフラしながらも、母親が井筒屋でお買い物。バナナを買うてくれというと、
そんな高い品物は買えないと怒られた。当時、キスチョコは超稀少品。
 勝山橋から西鉄北九州線室町方向
 ↑紫川橋梁手前室町側から
↑左側奥に「玉屋デパート」。小倉駅移転後,客激減でのち閉店  ↑左の交差点から旧小倉駅に当たる西小倉駅方
西鉄北九州線室町電停 
室町電停 ダイエーも立地していた。後方が玉屋デパート。 
西鉄北九州線室町 玉屋付近
 ↑玉屋デパート。4階あたりに鉄道模型売り場があって、カツミ、天賞堂、カワイの模型を見るのがお楽しみ。
屋上にはミニ汽車があり、年齢的に恥ずかしながら、ジョイント音を楽しみたくて乗ることもあった。
屋上からは鹿児島、日豊本線がよく見えた。博多寄り先頭車に島原鉄道からはるばる赤ヒゲ付の気動車が併結されているのも見えた
  なんじゃろ、あの車両?と思っていたら、その後、島原鉄道のことを知って、小倉までわざわざ乗入れてきていたのには驚いた。
 ↑室町電停(玉屋前)付近  ↑室町から大門方。店主がいた頃の昔からこのあたりは淋しい
大門手前から北九州線、戸畑線分岐点方向 西鉄北九州線戸畑線大門付近
↑大門電停交差点  ↑戸畑線の専用軌道終点部分が魚町方向のバス停に変身
西鉄北九州線と戸畑線大門廃線後 西鉄北九州線戸畑線勾配跡
↑なんと線路跡と思える場所に自動車ディーラも・・・。 ↑大門で分岐した戸畑線は勾配を駆け上がって日豊線を跨ぐ
西鉄北九州線と戸畑線大門付近
 ↑S35年発行地図(大門付近拡大) ↓S47発行地図
西鉄北九州線、戸畑線、くろがね線昭和47年図
 ↑S47発行の地図、細かすぎて線路が潰れて判りにくい
↓その拡大図
 ↓↓思い出の九州車両の店主記憶場所
西鉄連接車の製造、改造元であった 
九州車両-西鉄連接車製造元位置
大門から金田まで 
大門から田町裏(堅町)方向
 ↑戸畑線は専用軌道。先の下り勾配付近に九州車両の記憶  ↑大門から到津方は当然、併用軌道。高速運転不可悔しかった
小倉区竪町バス停 田町裏(竪町)から金田方向
↑田町裏電停は「裏」が嫌われたのか「竪町」となっていた。  ↑大門方から金田方(2丁目交差点) 
金田方向から田町裏(竪町) 西鉄北九州線金田電停付近
↑金田2丁目交差点から大門方   ↑金田から金田2丁目交差点方(大門方)
西鉄北九州線金田電停付近から田町裏方向 朝日新聞販売店
 ↑大門方から金田方  ↑金田2丁目にあるレトロな新聞販売店。真向かいは左下写真
西日本新聞社
↑金田電停にある西日本新聞社   ↑電停は金田、バス停は金田2丁目になった。
金田電停付近から日豊本線乗り越し方向
 ↑大門側から金田電停方  ↑金田電停から大門方
↓昭和35年発行の地図
西鉄北九州線金田電停付近
金田から到津車庫付近まで 
日豊線乗り越し方向(右)
 ↑左下側道路が電車道。何やら立派なお城方面道路が。  ↑撮影位置の少し後ろに、手もぎ切符の発売小屋があった
日豊線乗り越し方向(右) 日豊線乗り越し方向(右)
↑金田から陸橋。その昔、電車は左側の専用線に移り、自由な速度で走行していた。砂津の門司方も同じ方法で専用線だった。 ↑その後、専用軌道は道路の拡幅用地とされ、中央に移設されてしまった。合流の楽しみが無くなってつまらなくなった。
 日豊線乗越下到津方面
 ↑金田側へ下る。上の写真の逆位置から「上から目線」
金田から日豊線乗越頂上方向 金田から日豊線乗越頂上方向
↑陸橋から金田電停(左折)方  ↑陸橋の下側 
金田から日豊線乗越頂上から南小倉方向 
↑金田陸橋で日豊線をオーバークロス。
金田から日豊線乗越頂上から小倉工場
↑陸橋途中面白看板。ショート90分1980円~頂にはHOTEL看板 ↑工場横を日豊本線の電車が走る。421系では無いと思うが。 
金田から日豊線乗越頂上から小倉工場 金田から日豊線乗越頂上から小倉工場
↑陸橋から国鉄小倉工場を。名前変わったんだ~。   ↑保存蒸気C12222号
金田から日豊線乗越頂上から下到津方向 下到津電停方向
 ↑陸橋頂上から下到津方  ↑下到津交差点から下到津電停方
 下到津から金田方向
 ↑金田方へ上る
金田方から下到津電停方、東筑紫短大・九州栄養福祉大が立地 ↑下到津交差点(学校)から金田方
 
↑ワンマン運転
 ↑3台連行する西鉄バス。系統違いとはいえオイオイ・・・。 ↑ 下到津交差点から下到津電停方
 西鉄北九州線下到津~金田間軌道工事
 ↑軌道を補修中のよう前方が金田陸橋方
下到津バス停
↑電停のあった場所の信号機は「小倉西高前」となっていた  ↑砂津(現チャチャタウン)方面のバス停。
 西鉄北九州線下到津電停
1979年撮影
↑下到津バス停から砂津方  ↑橋から下到津方
 西鉄北九州線下到津電停
 ↑到津方を見る電停は砂津方面
 西鉄北九州線下到津電停
 ↑砂津行きが到着
 西鉄北九州線下到津電停
 ↑結構な乗客がある
 西鉄北九州線下到津電停
 ↑中央町折尾方面の下到津電停。
 西鉄北九州線下到津電停
板櫃川
↑下到津から到津方向   国道3号から電車道の橋。両岸に桜がある。
板櫃川 板櫃川
 ↑「いたびつがわ」地元の大切な河川と思うのは店主のみ?  電車道の橋から到津神社の森を見る。
↑上到津2丁目交差点「到津の森」とは到津遊園を市が買取改名 ↑上到津2丁目交差点3号線看板下関表示方向 
↑到津方から到津車庫方面 上到津2丁目交差点 ↑交差点脇にあった小倉到津球場跡碑 
到津遊園(当時)遠景
 ↑到津付近の大規模開発  ↑旧到津遊園の観覧車?そこへ行く元気が無くて・・・。
到津から下到津電停方向
↑下到津から到津付近は新築マンションが建て放題?モデルルームへのお誘い多数。なんでも「学区」の関係で需要があるとか。 
■以上、2011.12に初めて徒歩で実地踏査。
 あ~あ変わりすぎと思いつつ、
 引っ越した時から、もう50年が経過したんだという感傷が。
 小学生時代、運転台にかじりつき、ゴンゴンという「フートゴング」を絶え間なく聞きながら、ノッチ捌き、ブレーキ操作の絶妙具合を体感しながら、流れる敷石を眺めていました。
 戸畑線や筑鉄線、折尾線はあまり乗れませんでしたが、専用線走行は今だったら
 全身総毛立ちするぐらいの迫力走行でした。
 専用線に乗ったときは、いつもオフピーク時なので、架線電圧もよろしかったのでしょう。
 バタリとドアを締めクルリと鎖錠して「ゴンゴン」、「カチ、カチ」~「カチ、カヂ~ィ」のフルノッチ。
 電停直前まで、つり革鳴らしながら・・・。
 ブレーキ距離も併用軌道より長めで迫力がありました。
 →筑豊電鉄2100形録音でその雰囲気を少々(運転大人しくなって・・・。)
 今更ながら、ガキンチョの頃から真剣に探求しておけばと。
 まぁ無理やけど。なんでもそうですね。 
 ★★門司~折尾の現役時代は→こちら 
 北九州、下関の鉄道・軌道
九州の総目次へ
若松市営貨物線・若戸渡船 ・若松・戸畑界隈 若松線と蓄電池BEC819系 新日鉄住金くろがね線 山陽電軌 各線
火の山ロープウェイ
北九州銀行レトロライン
関門人道隧道
西鉄北九州線
魚町~到津 
西鉄北九州線  南小倉造幣廠引込線跡
    山田弾薬庫引込線探訪
皿倉山(帆柱)ケーブル 北九州モノレール 
筑鉄2000/3000形
2017.03状況
筑豊電鉄5000形
2017.03状況
筑豊電鉄2011.12 筑鉄3車体連接 筑鉄2車体連接 
   ※店名略称:フィルムスキャンs、通称店名:鈴木写真変電所
Copyright(C)2010.04 フィルムスキャン&プリントのS All rights Reserved