下到津・到津小学校周辺はどうなっているかなぁ。と思われている方専用です
★★2024.03.13 1981年撮影と思われる団地のプリントが出てきたので貼り付けました
★★2023.12 終活訪問
しました→こちら
2021.05:県営住宅自宅前の公園(当初設置のS37頃)写真1枚追加
★★2020.06 国土地理院昭和35年発行の周辺地図・空中写真S35撮影を掲載しました
★★2020.10.07 山田弾薬庫のほんの小話追加しました→こちら
訪問時期は2011年12月のとある日曜日
西鉄北九州線(元)下到津電停から下到津県営アパート周辺まで散歩。
なお、写真の一部は1981年撮影なども混ざっています
 お便りや電話を頂いて嬉しいです。 
■2013.04 同じ棟だった方からご連絡をいただいて、50余年ぶりにメール交換させていただきました。
そう言えばそんなことも・・。なんて当時が思い出されて凄く嬉しかったです。
■2014.04 同じ団地に住んでいたという方からお電話を頂き、当時はやっていたメンコやビー玉の話をしばし。童心に返らせて頂きました
■2016.06.26<北九州っ子様>より嬉しいお便りを頂きました。本ページ中段に
 ※1960〜66年の記憶で文章構成を記載しています。
2020年3月で卒業して54年も月日が流れました。
記憶違いはご容赦のほどを。というページですので、よろしくお願いいたします
画像は当時の記憶比較用に掲載しています。他の意図は一切ございません。
 ↑下到津電停(1981年撮影) ↓下到津電停から板櫃川の八幡橋、神社、県営アパート方向に進みました。
下方に掲載の地図と空中写真を懐かし〜く比較して頂ければと存じます
2024.03.13up  
推測で1981(S56).04の訪問?
と思われるスナップ写真
出てきました
日付のないカラープリントを単純SCANしただけですいません
団地の写真だけで鉄道の写真が無く、日付が全く思い出せませんので推測です
あえて注釈は書きませんので思い出せる方のみ思い出してください
多分、60歳以上の方しかわからないかも知れません
 ↑↓到津小学校の門前からの撮影
 
 
 
 
 
 
 
 
 ↑思い出の階段
 
 ↑4号棟から望む
 ↑既に解体されてしまった住んでいた2階建てのアパート1981年撮影。
その昔と遊具や設置位置が変わった
↑1962年(S37)と思われる当初の公園の姿のネガが出てきました。ブッレブレですが。2021.05
偶に下の空いている部分にポン菓子屋さんが来て、焚き火バンバン「ドッカー〜ン」と盛大にサッカリン入りのポン菓子作ってました。
結構、皆さんお米持って並んでいました。お菓子は丸川オレンジガム、カバヤチューブチョコ、市場駄菓子やの試験管?ゼリーなどがご馳走。
 <2020.03訂補>
 こんな場所に結構な人が住んでいたから、夜にチャルメラを吹きながら、正平ラーメンさんが来た。
 暗い電球の中で引き出しから色々と「具材」を出して入れてくれるのだが、見ていて楽しかった。
 今ある博多ラーメンよりも絶対的にうまかった。化調が入っていたかは知らないが最高に記憶になる至高のラーメン。
 階段でこぼさないように、丼をそ〜っと持って帰る緊張感は忘れない。※通行人さんの右隣の階段。

 たまに、この公園に業者が来て、お米を持って行くと、圧力釜にお米を入れて薪をバンバンくべて加熱。
 クルクル釜を回して、金具を叩くと、「ドッカーン」あられにしてくれた。子ども達は米持って並んだ。サッカリン問題もこの頃。2121.05 上に当時の公園写真追加
 今は騒音問題、使用許可、衛生許可、金銭収受の有無。あ〜せせこましい。
 最近、この器具が復活してじわじわ関東にも。催事だとしてもも、ものすごい一種の爆発音だから騒音苦情だろうなぁ・・・。
 
 子供会だか忘れたけど、トイレットペーパーの注文取りがあって、紙つやのよい「A」と普及品の「B」があって、まとめて配られて、使用していた記憶もあります。
 そういえば「グリコ牛乳大瓶」を一時飲み放題していて。←理由はヒミツ。
 未だにグリコ牛乳は美味しいもんだと刷り込まれています。※関東では売ってないようで・・・。
 本当に団地共同体として子供ながらに活気を感じていました。

 団地入り口にあったM谷商店さんの饂飩を食べに行ったり、出前を取ったりも良い思い出。
 しかし、到津市場の道にあった「うどん屋さん」の激うまさは別格。
 旦過市場に行ったとき、今は代替わりしてしまったけど、某饂飩店で饂飩の話になって御主人もあそこはうまかった。と
 ソウルフードは、香川だ加須だと言っても体に染みこんでいるから、嗚呼、この感じとすぐ引き戻される。

 中学の前後だったか、新日本製鐵君津に大移動が始まり、同じ建物にいた人も君津に引っ越していった。
 北九州没落?のはじまり。
 2020年、新日鉄が更なる設備の休止を発表。都市のシュリンクが気になります。
-----------------------------------------------------------------------
 ■店主の秘伝、勝手につくろう! 北九州風の饂飩←これも記憶ですから
 
  (1)  天麩羅の準備 素うどんが好きなひとは不要
     天麩羅はといた粉をポタポタと薄く垂らして!薄切りゴボウの天麩羅を作る
     さつま揚げも好きなら用意 ※ぶっといエビ天など論外。
   (2) ダシの元
     お好み焼きふりかけ用の魚粉をドバッと沸騰したお湯に入れてひと煮立ち。
     ※鰹節は味が澄みすぎる
     2Lの水ペットボトルの空きビン?に漏斗をセット。
     出汁が煮えたぎって熱いうちにダシを口いっぱい入れてキャップ。殺菌!
     そのままキャップを開けずに空気を遮断(酸化防止)すれば  
     数ヶ月は冷蔵庫で持ちます。 静かに粉を起こさずに、上澄みを使います
      いつでも素うどんも可能や!じっくり寝かすということも旨み??
   (3) (2)にヤマキの白だしと若干の塩、サトウを自分好みに多め投入。
     饂飩汁をカスタマイズ ヤマキの白だしは2022.06現在、昆布不使用なので
   (4) うどん
     スーパーの格安「ゆうでうどん」を。讃岐好きの人は冷凍うどんを!
     (5) うどんをお湯で温めて丼に、ダシ汁入れて、博多小ネギも
   (1)〜(5)を合体すれば言うこと無し・・。
  お稲荷りさん、折尾のかしわ飯もあればもう昇天や
    昆布はどうした!との声に好きな人は朧昆布でも
   店主、 ヨードアレルギーなので極力非摂取←最近、昆布入食品多過ぎ。
 卒業アルバムから
 到津小学校
 到津小学校
到津小学校移築前の校庭
↑体育の授業は裸足で駆け回ってました。右端の中央付近にヒミツの登下校獣道があったり・・・。
1960年(昭和35年)発行の地図です
到津小学校周辺地図昭和35年
 ↓1961年(昭和36年)の空中写真
 1960年(昭和35年)の空中写真
到津小学校周辺空中写真昭和35年
 ↑後方が金田陸橋方向 1981年 
<この枠内は他ページにも再掲してます>
   転勤族の子供だった店主が小、中学校(ともに一部)時代を過ごした場所だけに、なつかしさと思い入れはひとしお。
 でも、もう跡形も・・・。まぁ、そのかけらを探し出すのも楽しみなんで。

 八幡、戸畑の重工業と石炭積み出しの若松、商業の小倉、当時から衰退中の海運の門司。
   裏山から戸畑方面を見ると空が煤煙で真っ黒。
 そんな中で、「クジラ肉」と「すうどん」が主食?の食糧事情でも、小学校高学年になると
   山口ベニー号自転車で下関水族館や門司港、八幡へと遠乗りしました。
 西鉄電車も戸畑線や金田、砂津の国鉄越えの専用線に入ると、胸ワクワクのフルノッチ。戸畑、筑鉄は素晴しいスピードでした。
 これらの思い出が、本当に懐かしい年齢になってしまいました。

  小学校では裸足で運動がお約束、地理は切り抜き積層立体地図で背振山脈などを積み上げ、社会では筑豊の出炭量が全国1位?の時?
  捕鯨も北欧の国々との比較を「鯨」の絵数でダントツのご教育を受けました。技術家庭科では布製の道具袋入り工具一式を学校で購入配布。
  その一部の曲尺やカンナは工作好きなので、今でも手元にあります。トンカチも5年くらい前まで健在でした。(泣)
 
 当時の下到津グルメは、駄菓子屋さんの店頭で「真っ黒なおつゆの鍋に浸かった串おでん」、橋のたもとの「お好み焼」
 神社の階段下でひっそりおじいさんが焼くポン菓子、公園に米持って行くと、焚火焚いてドッカン〜ンと大音響で爆弾あられ。
 ロバが牽いたパン屋さん、夜泣そば「正平ラーメン」、下到津市場通の「素うどん」。
   下到津市場はまだまだ活気があって魚屋さんの店頭には四角いハムの固まりのような鯨肉が並んでいました。
 病気はぐったりしながら魚町の「記念病院」。小2の時に喘息で入院したこともありました。
   隣の井筒屋でバナナをねだっても高くてダメ!でした。海外土産がキスチョコ!井筒屋裏白タク多数待機。
 2019.03現在数えで66歳に。墓標が見え始める年齢になると、回顧、懐古でこうなるんだなぁ。という実感も沸いてきます。

 あと、何度行けるか。できるだけ通ってみたい北九州です。2011.09.24記  (2019.03訂補)
  下到津電停 1991年(平成3年)9月の廃線間近の頃の写真
 1992(H4)10.25にこの区間(砂津〜黒崎駅前)は廃止になりました
↑砂津方電停撮影に車が入って取り損ねの・・・。パノラマカメラ故・・・。
 ↑砂津方の電停で電車を待つ人々。こんなに乗客いるのに・・・。電停後方に「下到津」表示
  来ました砂津行き電車 
 ↑折尾方面電停 
道路拡幅の恩恵か?めっちゃビルが並びました
 2016.06.26<北九州っ子様>より嬉しいお便りを頂きました。ありがとうございました。

私は(32年〜33年生まれ)の到津小卒業生です。
ずっと北九州に住んでいますが、三年前に小倉に舞い戻りました。

私がとても懐かしかったのは、八幡様下のボン菓子せんべいです。
薄暗いお店で焼いていたおじいさん(当時はそう見えました)
何か不思議な空間でした。
あの空間はもう二度と味わえませんね(笑)

先日、たまたま中学時代の友と四人集まりました(小倉の魚町で)
東京在住の友が帰郷したからですが、その友のご実家は今でも あのポン菓子せんべいの近くです。
ちょうど、あのポン菓子せんべい屋さんの話が出たのですよ。(^−^)

昔を懐かしむ年齢になりました。
到津市場の●田精肉店さんの話を実家の兄にしたところ、
兄がまだ電車が走ってた頃の到津電停の画像(鈴木写真変電所さんのもの)を
ラインで送ってきました。
兄妹で偶然 同じHPを見ていたのもおかしかったです。(^−^)

地元に暮していますが、懐かしくHPのお写真拝見いたしました。
昔の記憶が見え隠れするようで、楽しい時間が過ごせました。

八幡神社ですが・・・
地元の小さな神社と思っていたら、お正月はあの石段に行列ができるほどの盛況さです(笑)
雪降る中でも階段の上から下までぎっしりの参拝客です。(^−^)

今も昔も北九州市民より
 ↑八幡様通り  (1991.9撮影)
 2011年の訪問時
到津小学校に至る道を散策-1 到津小学校に至る道を散策-2
↑電停の交差点から ↑鳥居を過ぎてから電停方向
到津小学校に至る道を散策-3 到津小学校に至る道を散策-4
↑板櫃川に架かる八幡橋は拡幅されていました。 ↑公園脇に建つ鳥居が見えてきます。
到津小学校に至る道を散策-5 到津小学校に至る道を散策-6
↑当時、存在感のあった、石灯籠です。鳥居の後ろに「紙芝居」の
 おじさんが来て 水飴白くなるまでネリネリ。すぐ舐めると「指導」
 ↑八幡大神とあります。子供の頃は見もしなかった・・・。
到津小学校に至る道を散策-7 到津小学校に至る道を散策-8
↑到津八幡神社への階段 神社のホームページ→こちら ↑神社の森に沿って到津小学校へ坂を登ります。 
 ↑実際には、このような光景は無かったが酷似している風景と記憶「思い出のマーニー」から
到津小学校に至る道を散策-9 到津小学校に至る道を散策-10
↑雪が降ったとき、ミカン箱のそりで遊んだ急坂 ↑坂の途中にY下文房具店がありました。
到津小学校に至る道を散策-11 到津小学校に至る道を散策-12
↑坂を登り切ると境内は駐車場になっていました。 ↑卒業して46年後(2012現在)の小学校
到津小学校に至る道を散策-13 到津小学校に至る道を散策-14
↑校舎は反対側に建て替え。 ↑通用門らしき。こちらが運動場で裸足で運動がお約束。
下到津県営アパート散策-5 下到津県営アパート散策-6
↑住んでいたアパート方向へ。懐かしさでいっぱいだったが。 ↑りゃりゃ〜っ。住んでいたアパートと右の公園が撤去されていた。
下到津県営アパート散策-8 下到津県営アパート散策-9
↑上の写真の住んでいた棟は解体されていた。
階段を上ってみる。50年以上経過している。
↑今来た道を振り返り、当時を思い起こす。
周辺の棟もすっかり解体されていた。右に印刷所があった
下到津県営アパート散策-10 下到津県営アパート散策-11
↑この地に3〜4棟、下に2棟程度並んでいた記憶がある。 ↑一番奥に。小学校時代に電球製造工程を見学した東芝が。
 フィラメント線を1回巻き、さらにそれを巻いているのが特徴と
 明るさだったか、断線しない工夫だったかを説明してくれた。
子供の頃の工場を含め何でも見学は重要と思う店主
下到津県営アパート散策-13 下到津県営アパート散策-14
↑戸畑を結ぶ道路も立派に。板櫃中はこの奥。今回タイムアップ!! ↑小倉工業の校舎。生徒さんにちょと勉強教えてもらった記憶も。
到津小学校周辺散策-22 到津小学校周辺散策-21
↑Y野文具店跡に戻って、いちょう坂の交差点から電停に向い「下道」を ↑掛け替え時に、もらい受けたのでしょうか。お庭風に。
到津小学校周辺散策-23 到津小学校周辺散策-24
↑振返る。右側の石は右上のもの。白い軽自動車が学校方向へ ↑電停方向に再び。この区間は拡幅されていません。
到津小学校周辺散策-26 到津小学校周辺散策-27
右上写真横断歩道入神社の森正面。ガードレールが小学校へ
登り道になります。付近でお爺さんが粉煎餅を1枚づつ圧力焼
していました。新聞紙を糊付けした袋でくれた。おやつアッチ!
↑八幡橋の改修日は平成2年3月改修と判明(改修回数は不明)
到津小学校周辺散策-13 到津小学校周辺散策-14
銀杏並木が。日産の大衆車が「サニー」と決まった頃です。 ↑高速道路の「下到津ランプ」。電球の東芝工場を思い出す。
到津小学校からの眺め 到津小学校からの眺め
 ↑小倉も高層マンションが結構ある。 ↑←左から少し右にカメラを向けて 
到津小学校周辺散策-15 到津小学校周辺散策-16
↑店主が通学した反対側の坂道 ↑この坂が「いちょう坂」とは知らなんだ。名前あったのかなぁ〜
到津小学校周辺散策-17 到津小学校周辺散策-18
↑坂を下りた交差点にY野文房具店がありました。学校で手洗い
 習慣のために紙石鹸が必要で良く購入。水が付くとお釈迦(笑)
↑左側の鬱蒼としたお墓の林はきれいさっぱり。蝉取りの思い出
  M谷うどん店は跡形が・・。出前の唐辛子袋が記憶に蘇る
下到津県営アパート散策-01 下到津県営アパート散策-2
↑県営アパート入口から団地内市場方向。看板が取外れていた ↑良くお遣いに行かされたが、全て閉店しているようだ。
下到津県営アパート散策-3 下到津県営アパート散策-4
↑市場脇の公園 公園から西南女学院を見る。森(お墓)が綺麗さっぱり
到津小学校周辺散策-28 到津小学校周辺散策-29
↑橋から電停方向。橋のたもとの左側にお好み焼きの食堂があった。鍋に串おでんが一杯入っていておやつに食べた。
 同級生のお店がこの通りにあったが、転居したのかなぁ〜。
↑高橋尊師のワイン教室で、
ツタの絡まる「999」看板のお店を話題を出したら 
とても美味しいお店なのよ。と生徒様に花丸の御推薦を頂いた。
 今度いかなくちゃ。(店名はサンキューだそうな)
到津市場に日曜日に寄ってみました。 全店お休みでした。 
到津小学校周辺散策-31 到津小学校周辺散策-32
 ↑入り口  ↑精肉店があった方の出口付近から撮影。
おいしい三谷のうどん屋さんがあった
到津小学校周辺散策-33 到津小学校周辺散策-34
 ↑なかなか味のある看板をショット。  ↑日曜日とあって真っ暗です。コワ〜イ。
↑2023.12訪問の到津市場はこちら 
 電車道を挟んだ反対側
東筑紫学園短大他※ 小倉西高校の一大文教地区に変貌。びっくり。
※(とうちく(軒)むらさき)と読んではいけません。(笑)
到津小学校周辺散策-35 到津小学校周辺散策-36
到津小学校周辺散策-37 到津小学校周辺散策-38
↑広大な面積に多数の校舎を構える学校法人東筑紫学園。幼稚園もあります。 
到津小学校周辺散策-39 到津小学校周辺散策-40
 ↑小倉西高等学校の校舎。耐震補強が部分的だが、これで大丈夫なのか? 
Googleの到津小学校の周辺地図へ→こちら 
 平成21年の空中写真
 ↑県営アパートが再整備されて存続しているようです。
 福岡県住宅供給公社サイト 下到津住宅 2020.07現在の記載.
北九州市小倉北区下到津2丁目4番
交通機関 JR新幹線・鹿児島本線「小倉」3.6km
西鉄バス「下到津」徒歩12分/西鉄バス「下到津四丁目」徒歩8分
団地規模 14棟208戸 
2023 北九州の食ほか  
★★九州の総見出しページへ
波佐見焼 丹心窯・西の原
2023 
 柳川 鰻のせいろ蒸し
2023
小倉 SHUN PAN LABO
シュンパンラボ(パン)
ワインフォーラム
御教室乱入2023
丸和前ラーメンと
一銭洋食和羅部
 到津市場 2023.12
小倉 下到津
到津小学校への道と
下到津県営アパート2023
 
キッチン9.9.9.
下到津の行列店
 旦過市場2023現状 旦過市場 岡本商店
木製看板 
古い!!北九州 2011年あたり 
 リバーウオーク  旦過市場(商店街)2011 鳥町食堂街・小倉豚骨老麺  店主北九州でドイツ般若湯 下到津・到津小学校周辺2011 
黒崎の名店だった
「唐そば(2代目)渋谷店
 
唐戸市場・海響館
  ※店名略称:フィルムスキャンs、通称店名:鈴木写真変電所
Copyright(C)2010.04 フィルムスキャン&プリントのS All rights Reserved