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十和田観光電鉄鉄道線は平成24年(2012年)3月31日の運行を以て廃止された。
十和田市駅に昭和60年10月28日に開業した自社の商業ビル2階の改札口脇に、鉄道のCTC装置をはじめとする運行管理室を設置した。
このビルのキーテナントにはダイエーが入居。周辺に競合店は未だ少なく、下田に「イオンモール」が出来るまで周辺のお客さんで賑わっていた。が、しかし~ぃ
H7.4.集客力が非常に強いイオンモールが下田に開店すると、ダイエーは客を奪われ、周辺の商業施設も疲弊させてしまい、苦境に。
さらにダイエー自体の崩壊もあって、ダイエーがH19.3.に撤退。
空洞となった自社ビルを持ちきれずに売却する事態も、2転という事態に立ち至り、最終的なビルの購入者から平成24年3月迄に十和田満腔電鉄の駅事務室、運輸司令室を含めて立ち退くように迫られた。
運輸指令信号関係の設備の移転費と毎年漸減する乗客、東北新幹線七戸十和田駅の開業による急激な乗客減、東日本大震災による不況なども重なり、十鉄が要請した補助金を沿線自治体は拒否したため、やむなく廃線となった |
※「モハ3401、モハ3801」の生録音は→こちらながら聴きでどうぞ |
七 百 駅 に て |
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↑のどか?に接近しているが撮影時点で七百駅は貨物側線のある交換駅でまだ検車区は無かった。S49.8 |
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↑「客貨」表示は当時国鉄連絡があったので、三沢駅手前の本線と連絡線のポイント開通方向の表示と推察
↑↓ クハ2404+モハ2405 |
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↑↓検車区を作る前の七百駅構内 |
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↓ポケしていたらED301牽引の貨物列車が通過 |
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↓ 嗚呼、去って行く |
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↑しまったがなぁ~。 |
十和田市駅(移転前) |
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↑↓このホームは使用されていない。右側のビルは十鉄本社が入居していた。 |
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↑十和田市駅は農協の貨物の発着が多かった。 |
モハ2400・クハ2400 |
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↑↓毎度カビッカビッ。ナンデヤネン(怒!)良く生えてくれる。窓の保護棒は何故この箇所だけ?状態。 |
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■モハ2400形、クハ2400形
T11.9.4に765mm軽便で開業した前身の十和田鉄道を1067mmにS26.6.20.改軌、電化開業に合わせて発注された車両。モハ2400形とクハ2400形はS26.5.18認可により日立で14.8mの車体、両運転台の車両として各2両製造された。 主電動機90kw×4、全長14,800mm、自重32t(Tc:21t) 台車:日立KBD-104(Tc:KBT-4)
旧弘前電鉄がS27年1月に三菱電機が資本も含め電気関係を丸抱えで開業したが、それより先んじること1年前のS26.06.20に日立製作所が電気関係と車両を請け負ってオール日立で電化した。 |
当初の車番はモハ2401、2402/クハ2401,クハ2402と形式のみ違うことから現場の混同を避けるためにS33.8.7付でモハ2401→2403、2402→2405/クハ2401→2402、2402→2404に改番、末尾の番号を一連番号にすることで99両まで車両を特定できるようにした。4両の番号は02~05で揃えたが、01は既に十鉄のスターモハ3401が稼働していたので、そちらに譲った。
S43.12.29七百~古里間でモハ2403とクハ2402が正面衝突してモハ2403が復旧、クハ2402はS45.3.25付けで廃車となった。東急の譲渡車入線によりS56.12.18付で3両全車廃車。 |
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↑↓モハ2403と組んだクハ2404
撮影時点でクハ2402は廃車になっており、モハ2両クハ1両となっていた。 |
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↑竣工当時は雨樋が無いのっぺら車体(画像加工)
当時の写真を参考に塗色は違いますが復原っぽくして画像をいじってみました。 |
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↑日立製作所の銘板が読める。中央には行き先板差し受けが2箇所付いている。
S36.2.21認可で国鉄盛岡工場で天井板不燃化工事と共に雨樋を全周と正面左右に取り付けた。 |
2400形の色変遷と3400系、東急車の塗り分け
※厳密な彩色ではありません 。
変更2,3は「昭和30年代鉄道原風景 J.WALLY HIGGINS著」を参考にしました。
他に塗色があるかも知れません??
なお、変更2,3は連結した写真からです。変更2はクハ、変更3はモハですが、
車種別の塗替は無く、2→3の明色方向に塗り替え中と順序を決めました。 |
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竣工当時 マルーン一色
屋根灰色 |
変更2
屋根も同色 |
変更3 (屋根も同色)
登場時1200,3400系も同様 |
変更4 クハ2403最終色
屋根も同色塗分入。クハ3407も同様。
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変更M4 |
変更M5 |
変更T4
旧東急車の塗り分けは先頭側に傾斜付き、連結面は直角になった。
屋根の灰色部分が広い。両運転台のの3811の塗色もこの形。 |
モハ2400は「M4」になったものの、のち雨樋を境に屋根を腰回りと同色に塗り上げた「M5」になった。モハ3401はM5の時期があり、最終的にM4で落ち着いている |
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↑ 入線時、車両記号は方向板の下辺あたりに窓桟両端にかかるほどの写真のような大きめの字で表記されていた。(番号は改番前のもの)
手前が車庫線となるので電柱に「セクションスイッチ」が設置されている。長い絶縁棒で操作するが、
右側のセクションは架線柱の関係で珍しい位置にある。架線結線も単純すぎ。
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モハ1200・クハ1200 |
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↑モハ1201 お化粧中
雨が降るようだと2両分しかない木造検車庫に避難するしか無い。 |
■モハ1200形・クハ1200形
S43.12に正面衝突してクハ1両が廃車となって不足。運用に支障が出ると困るので出物を探した結果、 定山渓鉄道がS44.11.30を以て営業を廃止した定山渓鉄道のモハ1200形1201、クハ1210形クハ1211を購入した。屋根上にどう見ても耐雪形と思えないタイフォンとお椀形ベンチレーターが並んでいる。
S29.6.25設計認可、S29.7.23竣工届。日車東京支店製。全長17,630mm、幅2840mm、自重36t(Tc26t)
110kw×4。台車は日車NA-5。車体幅はモハ2400形比+96mm、3400形比+100mmで十鉄の中では最大の車体幅であった。 車両番号はモハ2400の後を継いでモハ1207,クハ1208となった。
制御装置は運転士が手動でカムの進段を行うHL仕様(定山渓は東急車以外HL)で他車との総括制御が出来ず、単行かクハ1211と専用編成を組んでいた。また、この車両は定山渓鉄道が運転台を全車右側に設置した構造のため、乗務員からはあまり歓迎されなかった。H2.1.10付廃車 |
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電 気 機 関 車 |
ED300形 |
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1067mm改軌、電化用にS26.5に日立水戸工場で竣工した自重30tの電機機関車。故にED300形を名乗る。
機器については同時期に製作した2400形と同様の主電動機90KW/750V(HS-266-CY20)が使われ、ブレーキ関係も共通部品が使用されてメンテナンスの共通化を図っている。
改軌、電化当初はモハが2両の所帯なのでモハが入場中に運用の1列車をED301がクハ2400形を牽引していた。
このジャンパ栓が前面ボンネット左側に残されている。
しかし、台車の構造から走行時の左右の振動が強いため、線路に与える影響や走行安全性を担保するため時速50km/hを上限にされて、使い勝手が悪かった。
ED400が登場後は出番は減少したが、除雪機関車や2両しか無い電機機関車の予備の役目もあって廃止時まで廃車されなかった。 |
↓七百駅を通過するED301牽引の貨物列車 |
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ED400形 |
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↑↓列車交換の七百駅の構内や両端の駅構内延長の関係で最大で
電車3両分程度の長さで貨物が組成された。重連プレートで2種撮影 |
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↑↓ED402
十和田観光電鉄の電機機関車はED301が1号、本機は2号目でED402 |
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ED400形はクハ4400形4406と一緒に川崎車両に発注された電機機関車。
竣工はS37.5.14付竣工
自重は35tなので本来はED35形352となるところだが、新形式の意味合いもあったのかED400形を名乗ることに。
電機機関車の続番2を付けてED402となった90kw×4/750V(K7-1203A)、台車はDT21型タイプの「川車613」
貨物輸送の主力として活躍したが、S61.11.1から国鉄の貨物輸送が無くなったため、線路保守、車両の回送や除雪等の主役を務めていた。
ちなみに正面尾灯の上にはED300と同様の目的のジャンパ栓とおぼしき物があるが、違うかなぁ~の不明。 |
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↑キャブのガラスが「薄い青色」となっている |
本ページ作成に当たり十和田観光電鉄に在籍された(故)大久保孝様には様々な御教示を頂きました。
(故)岸由一郎様著 十和田観光電鉄の80年(ネコパブリッシング刊),鉄道ピクトリアル私鉄車両めぐり特輯第Ⅱ集
十和田観光電鉄白土貞夫様著を参照させて頂きました。 |
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