|
関 東 鉄 道
2023.06.11 Ver1.65 |
※店主、この会社の車両調査を一時は、やる気を出したのですが
大多数の車両の遍歴が複雑すぎて時間、気力の無さで調査放棄・・。
よって「のようだ」「疑い」など確定しない単語をバンバン使用しています。$(_ _)$
|
常総線、筑波線
まとめてドン |
|
↑旧塗装のキハ804 |
キハ700形 |
|
↑キハ701
S32年、キハ48001,02の2両が20m級の車体で登場(日車)、後に700形に改番
S37総括制御化,S38ロングシート化,中央に両開扉新設(時期未調査) |
|
↑キハ702
キハ500に牽引されていると思われる排気煙状態
両開きのドアが増設され、雨樋も増設されている
1957年日車の製造だが、後輩のキハ500,800より車幅が
130mmも狭いので面長に見える
(700形2730mm/500,800形2860mm)
※↑写真も明確に幅違いが出ている |
キハ500形 |
|
↑502
動力車2連だが502の排気管のみが煙を噴いている
燃料節約でD-Tc扱いの運行をしているように見える |
|
↑関東鉄道は貫通路を解放せず乗務員の巡回のみに使用していた |
|
↑拡大してみると両者の車体床の高さが違い、
渡り板が片勾配になっていて乗客の通行には支障がありそう |
|
↑給油中の502
中央はキハ901、右はキハ701 |
|
|
↑↓筑波線の504 |
|
キハ800形 |
|
↑キハ802
前面両サイドの通風機が特徴的 |
|
↑朝の運用が終わったら
↓このような端っこに押し込められていた |
|
↑日車標準仕様のキハ803 台車:空気バネ仕様
↓車体がほぼ同形の同和鉱業キハ2100(2105) 台車:コイルバネ仕様 |
|
|
|
↑↓この笹藪、場所探しの時間を惜しんでここにしたと記憶しているが
何故こんな処にしたのか??実に幼すぎる場所であった。 |
|
↑旧塗装が2両も並んで美しい(店主が好きなだけ)
相鉄の5000系から始まったグレーと |
|
↑キハ804切放作業完了
↓入替開始 |
|
|
↑仮留置 |
DD502形 |
|
↑DD502 |
昭和31年日車本店で製造された。製造番号は1761運転整備重量36t
450PSのDMH36Sエンジンで第2,3軸に動力を伝達、1,4軸へはロッドで伝達する方式。 |
|
|
軸間は1800mm、台車中心間は5650mm
ロッド式の特徴として車輪に起動補助の重りがついている
津軽は車輪に小さくついている
↓DD35 2
台車回りのためにメチャレベル上げて上げてます |
|
|
|
↑エンジン掛かりました盛大に排気しています。 |
|
|
↑↓訪問時は現役で無蓋貨車を牽引していた |
|
|
|
キハ551形 |
|
(1)国鉄キハ0724 S39江若鉄道へ
(2)江若鉄道キハ24前面貫通化、前照灯2灯化(年月調査中)→キハ5124(S51改番)
(3)加越能キハ162 S47.09路線廃止
(4)関東鉄道S47譲受
(5)S49中央両開き扉化
貫通扉の中央窓の高さが独特でこれで江若由来と判断する方も多いと思う |
|
キハ751形 |
4両の御殿場線直通用の小田急キハは全車が関東鉄道に引き取られ、キハ5000形が751形、キハ5100形が753形に分類された。
751形は昭和30年製の751、752号、753形は昭和34年製の753、754号である。
751形は客窓が小形でドア間5枚、753形は同4枚と異なっている
昭和43年、753形と共に日車蕨で外吊りドアを2カ所増設、便所撤去、ステップレス化、座席をロングシート化している。
2エンジンの総称750形は通常、元小田急1650形キクハ1形Tcを牽引、運用された |
|
|
↑キハ751
この列車は当時最長の5両編成だったが全容の撮影に失敗
ロケハンナシ、ダイヤ無しのぶっつけ本番でウロウロじゃ当たり前か |
|
撮影時、2エンジンの元小田急キハ752と元小田急のクハ1650形キクハ3
が組成されて、小田急時代ではあり得ない編成で活躍していた |
|
↑台車形式はTS104A、主台枠鋳造の際に
少しでも軽量化しようと台枠に空洞を作っている |
キハ753形 |
|
↑元小田急キハ754(旧塗装)とキクハを先頭編成にした4連
小田急のキハは日車製造、後に連なるキハも全車日車。奇遇やなぁ~ |
|
キクハ1形 |
小田急のクハ1651~3(更新新製車体),1655がキクハ1形になった。
なお旧番1651~3はキクハ2~4、1655はキクハ1になっている |
|
|
↑キクハ3
車体裾に白帯残り
写真に「この駅南区画整理事業資金の一部は
簡易生命保険積立金から融資されております
水海道市」という立て看板があった。
こんな処に何故?? |
|
↑↓前面に取り付けられている転落防止柵は、
キサハも含め小田急時代の内側2本、
斜めの補強棒がついた柵をそのまま利用している |
|
↑小田急時代のクハ1600形1658
店主唯一と思われるクハの手持ち写真と思われる(苦笑) |
|
↑↓キクハ4 |
|
↑小田急時代の前面と変わった点は尾燈がオデコから裾に降りたこと |
|
↑キクハ4
小田急時代のTR11の車輪が一体圧延車輪から
軽量なスポーク車輪に変更されている。
乗務員室と客用ドアの間に小荷物が積載されている |
キサハ65形 |
小田急のクハ 1654,1656,1660はキサハ65形65~67として運転台設備、前照灯、尾灯を撤去して、貫通路は職員用(非常用)に整備した。なお、乗務員扉は66のみ撤去せず、そのまま存置されている。 |
|
|
↑↓双方どちらかがキサハ65、67です |
|
|
↑↓キサハ66
66号のみ乗務員扉は残されたが、運転関係の機器は撤去されている |
|
|
↑乗務員扉がカメラの微妙な角度で見えないが
ウインドヘッダーの曲がり始めが確認出来る |
キクハ11形 |
|
(1)昭和32年12月、日車東京支店で客車ホハ1001として竣工。たった1両の増備
台車は日車菱枠形 車体両端は当初から貫通扉付で貫通扉の直上に入換用の小さな前照灯が付いていた。
(2)キサハ53に改番(昭和33年4月)
(3)昭和35年日車蕨で両端の客窓を1つ分潰して、1255mm長の運転室を取付。
日野DS40-B2を搭載、キハ510形501化の改造時にヘッドライトを屋根に移設した
(4)昭和45年駆動機関を外してキクハ11に
※日車車両史戦後私鉄編で図面を眺めていたら、同書にある小田急クハ1650と全長、全幅、全高、台車中心距離他諸寸法が同一、両端の客窓が小田急2枚、キハ511は3枚、キハ511は客扉を窓1枚分中央に寄せて2扉化した他は全て同じ。
しかし昭和28年の増備が最終の1650形、4年間この1両が雨ざらしになっていたんだろうか。
きっと、発注部材が格納されていて、自社の菱枠台車もあって、その在庫処分で関東鉄道に図面ほぼ流用で、車両作りませんか?と打診したのだろうか?なんだかたった1両製造も怪しい~。
なにより、700形を製造した同年の車両である。ますます疑わしい。
車両不足の時代、箱に台車があるだけでも関東鉄道にとっては干天の慈雨?
そんな経過で、後に嫁入するキクハ1とキサハ65とは義姉妹?なのかも・・・。 あれ、今は牽引されても義兄弟としないと男女蔑視とか言われそうやなぁ~ |
|
南海電鉄出身 キハ755形 |
|
↑キハ755
南海電鉄から南紀直通用キハ5505
南海で運用中に衝突事故で廃車。S49に西武所沢で両端のドア間に
両開扉を2カ所プラス、便所撤去、ステップ埋込等の改造を行って入線。
両端の扉がこの幅じゃ、乗降時間的に全く使い物にならなかったのだろう
2個エンジン車で片運なので基本、キクハと組んで運用された |
|
↑旅客扉窓の四隅に紀勢線内でタブレットを走行しながら
受取る時のキャリア「玉」による破損防止柵の取外跡が残る |
雄別鉄道出身 キハ761形、キハ810形
筑波線でステップ付き |
|
↑キハ760形761 筑波線
元雄別鉄道キハ49200Y形(49200は国鉄キハ21の改称前形式、Yは雄別)の1号
本州仕様の窓と同様の大きさで耐寒は??台車は菱枠形と貧弱。車号は1~3だった
↓キハ760形762 筑波線 |
|
|
↑キハ810形 元雄別鉄道キハ104
ナンチャラY形式名称は廃止され、客窓も北海道らしい小型窓になった
Y101~103の後追い番号で直接キハ104~106号となった
写真は雄別同士の組成列車 |
|
↑同じ場所でカラーを・・・。
このときは重連プレートと手持ちと計3台を持参。撮影技術も無いのに
とにかく数種類のフィルムで数撃てば。の馬鹿丸出しの作戦だった。
今、この程度の劣悪な写真を撮影出来るデジカメはなかろう。
レンズ距離も高性能なズームレンズでとISOアゲで単玉代用
撮影した1コマから白黒やカラー各種のデジタル加工が可能
さらに暗室現像や引き延ばし印画紙の種類選択も不要。
結局、馬鹿でかい銀箱に複数台入れる歩荷の必要は無くなった。
さらに「白黒なんか」のご時世だし。時代の変化を感じる |
キハ703形 |
|
↑取手行き |
旧小田急キサハ65形(65または67号※)連結 後方はキハ310形 |
日車東京支店S29.03竣工届 全金属製でキハ17形の3扉様の車体となった。当初の形式はキハ42002
機関DMH17B、機械式で登場、S32.05に液体式に改造(総括制御化はS40、当時の運転士の減員上の労使関係で総括制御は行われなかった)
製造時850mm幅の片開き3扉車であったが、多分であるが、S40に片運化された際、中央の客扉を拡幅するため、両開きに改造したと思われる。
片運化した際の余剰お面はキハ704の片運化の際に再用された。 |
↓水海道へ戻り 車内ガラガラ |
|
|
キハ704形 |
|
S10 日車国鉄納めのキハ42004。関鉄入線時はキハ42001
改番されてキハ42002より後位番号のキハ704を名乗ったのは、改番の際に最新型附番したかったのではないか?
S32年製の旧番キハ48001,48002を701,702としてS29年製のキハ42002を703に、最古参のキハ42001を704にしたと思われる※車体長区分ではキハ703,704は19600mmで本来ならキハ500,600番台の車両になると思われ、改番の区分がこの会社は基準が??である。筑波線に配属された501~502,503~505の再改番等は最新の空気バネをつけた車両がトップナンバーであるべきという外部助言で行った※P誌私鉄車両巡り[63]常総筑波鉄道記事より
前面は全金車体バス窓構造のキハ703をS30に片運化した際のお面を貰っている。
片運のため相棒が必要だが、撮影時は運転台を分けた連番の兄貴分キハ703とは組まず、他の車両と組んでいた。
後ろは車両はステップレス、窓配置、ベンチレーター、台車等が同じに見えるのでキハ610形と思われる。 |
|
キハ720形 |
|
↑加越能鉄道のお宝キハ187を720形721号とした。
片運化、中央扉を両開き、ステップレス化 こんな写真で・・・。 |
キハ610形 |
|
↑キハ610形
鹿島参宮にいた国鉄キハ07をお面改造で常総線に移動
↓下回り明るくしてみました |
|
|
↑ウインドヘッダーのリベットと前面回りのリベット無しがなんともな味
車体はステップレスになっている
窓下の鋼板が凸凹無く綺麗なので、幕部のみ張り替え、ウインドシルもノンリベットになっている |
|
キハ900形 |
|
↑キハ35崩れの前面と3扉の側面を持つ900形902
1963年 日車製で2両だけの新製車。片運車で中間にキサハを挟んで3連運用された
塗装として雨樋付近の赤帯塗装がされていないが、裾には白帯が入っている
次位はキサハ化された元小田急車。MTMとして準固定編成っぽい
なんでこんな草むらで撮影したのか今を持って不明 |
キハ310形 |
|
↑出来たて
下回りは国鉄キハ17系列の再用品で8両が増備された
関東鉄道スタイルのハシリとなった。出来たて?キレイキレイ |
|
↑311先頭+312?+キサハ65or67+703 |
|
↑機関区併設時代の水海道駅 |
|
↑↓ 桜満開の常陸小田駅 |
|
キハ541形 |
|
↑北陸鉄道能登線からお輿入れ
荷台付きで筑波線で最後まで活躍 |
竜ヶ崎線 |
|
↑キハ41300形41302
昭和33年入線 旧国鉄キハ0498
竜ヶ崎線は佐貫駅に向かって竜ケ崎、入地、佐貫ともホームが
右側なのでワンマン運転の利便性から龍ケ崎方の運転台は右側になっている |
2両固定編成キハ521形 |
|
↑↓ キハ520形521+522
国鉄キハ42000形→江若鉄道(キハ522は江若入前に長門鉄道を経由)
江若時代に片運化、キサハを挟んだ3連(旧番キハ5121-ハ5010-キハ5122)で
運用されたがハ5010は常総線に移籍され、昭和50年に両車鋼体化されて
床下機器と菱枠形台車も変わらず片運同士の2両編成を組んでいる |
|
キハ531形 |
|
昭和6年川車製江若鉄道キニ6から変遷を重ね
昭和52年に写真の車体載に換え |
|
|
|
|
|
↑幌が常備されていると言うことは
キハ521形が検査時にはどちらかに連結して運用されたのだろう |
参考文献
世界の鉄道1968及び1975 朝日新聞社刊
日車の車両史 日本車輌鉄道同好部、鉄道史資料保存会共著
鉄道ピクトリアル 私鉄車両めぐり第3輯 常総筑波鉄道
同286号 他社へ行った小田急の車両 吉川文夫様
同418号 関東鉄道竜ヶ崎線 私鉄倶楽部 |
|
|
※店名略称:フィルムスキャンs、通称店名:鈴木写真変電所
Copyright(C)2010.04 フィルムスキャン&プリントのS All rights Reserved |