福島交通(飯坂電車)の合併と駅前乗入
2024.05.25 Ver2.10
福島県宛て国の手紙、合併後の
速やかな仮線申請及び幻の迂回路図を掲載しました。
念のため:役所に提出した書類・図面ですので、現場との相違は良くある。が前提です
■昭和46年4月11日迄、国鉄福島駅前に福島交通の路面電車の「福島駅前電停」があり、ここからローカルな未舗装の道路端を走る車体幅の狭い1067mmゲージの飯坂東線が発着していた
廃止時の店主は高校生で遠い場所に行けなかったので、情報も実際も不知のまま
ところが、つい先日、福島交通1200形~をアップするにあたって文献を調べていると、開業時は駅より若干離れた道路上が終点の路面電車で開業。
その後、飯坂東線の「福島駅前電停」に一時期「飯坂西線」が乗入して、発着していた奇っ怪な事実が判明。その当時の状況を解明しようと今回、努力してみました(苦笑)
■飯坂西線は1924年(大正13年)04月13日に「福島飯坂電気軌道」と称して開業、しかし、既に省線福島駅前には762mmでマメ汽車の如き蒸気牽引の飯坂東線の前身、信達軌道が併用軌道で達していた
福島飯坂電気軌道は後発組なので路面電車として飯坂温泉側から国道5号、市道、県道を走行して鉄道省福島駅に近づこうとしても、信達軌道が下図のごとく駅前に続く狭い道路に線路を先に敷設していたため、並走ならず一区画手前を起点とせざるを得なかった。
このため「福島飯坂電気軌道」は駅前乗り入れの悲願達成のために・・・。
   ↑福島飯坂電気軌道敷設予定線(担当者手書き挿入済)のある地図
↑青色の細線まで道路を拡築(拡幅)するお約束で線路を敷設したが拡築(拡幅)が進まない
↑飯坂電車併用軌道図面(県道部分)
赤丸印は併用軌道だが踏切なので、横断対策で敷石を並べて詰める箇所
踏切幅は赤丸部分で30フィート 約9m 
◆福島飯坂電気軌道は福島~飯坂(現:花水坂)を1924年(大正13年)04月13日、1067mm 600Vで開業
福島駅前~森合付近は順に福島県道、福島市道、国道5号線の各一部区間を併用軌道としていた。
この区間は敷設に当たって拡築(道路拡幅)を約束していたのだが、立ち退き交渉がうまくいかず、お約束の拡築期限になると毎々延長を申請していた。
福島飯坂電車軌道の福島駅前は福島屋旅館の角の約1間四方を借りて切符売場とし、同一階の一部を待合所とした 
設立当初より立憲政友会のメンバーが参画していることから、開業までの許認可はそれなりに早かったのではないか
一方の先発会社
◆信達軌道(Ⅰ)は1908年(明治41年)04月11日に福島~長岡保原街道(長岡分岐点)間を762mm軌間、蒸気動力で開業し、小型のBタンクで1~2両のボギー客車や貨車を牽引していた。

信達軌道(Ⅱ)になっても762mmゲージの小型のBタンク機関車と客車が、昭和14年まで福島駅前で煙を上げていた素晴らしい光景が見られたが、沿線では煙突から飛び散る火の粉で一地区が丸焼けになる大火災を起こしたり、脱線が始終あるようで迷惑千万の非難も上がっていた

【社名の変遷】
◆福島飯坂電気軌道:当初出願時は飯坂軌道(SL-762mm→EC-106mmに変更出願),1924年(大正13年)04月13日開業→(1年後)1925年(大正14年)  01月06日社名変更登記 飯坂電車→1927(S2)09.20福島電気鉄道と合併(開業から3年目)
◆信達軌道(Ⅰ)1908年(明治41年)04月11日開業→1908(M41).07.02大日本軌道福島支社→1917(T06).09.06信達軌道(Ⅱ)→1925(T14)12.24福島電気鉄道→1962(S37.07.12)福島交通(Ⅰ)・・・
信達軌道(Ⅱ)の改軌、電化は1926(T15)04.06福島駅前~湯野町間が第1期として開業
この改軌工事において、信達軌道は前代未聞の工事をやってのけた・・・(後述)
※2社とも開業して数ヶ月の間に社名を変更している。因果があるのだろうか??
※本稿で記載する信達軌道は(Ⅱ)です。
■参考リンク本稿の時代の【蒸気、電車の写真や歴史】
 とうほう地域総合研究所 信達の歴史シリーズⅡ 柴田 俊彰様著
 (信達軌道の蒸気写真)いい電誕生物語 その1 , その2 ,(飯坂電車の単車写真) その3
 
 ↑飯坂電車作成の図
図だけ見ると信達軌道の運行範囲は広いが、実際の輸送力が・・・
 ほぼ同じ時期に両社とも社名を変更
 ↑福島飯坂電気軌道→飯坂電車へ商号変更 
大正13年11月26日変更、登記大正14年1月6日
↑信達軌道(Ⅱ)→福島電気鉄道へ商号変更 
大正14年12月24日変更、登記大正15年1月6日
飯坂電車 福島駅前へ乗り入れ出来るよう陳情
大正14年10月9日付 国へ陳情→同年10月14日 陳情について内部報告書作成
↑知事の具申検討文書
信達軌道の工事方法変更に日時を要す軌道共用すること等・・
  ↑大正14年9月14日付知事具申
ラストに「現在は両社間に協議成立の見込が無いので申し添える」とある 
飯坂電車の必死の陳情攻勢と県飛ばしの上申
 ↑↓大正14年10月9日付のお国宛ての陳情書
陳情書にある停留所名は十綱(移転後)→T12.11.05:飯坂→S18~S19頃:湯野町のこと
【陳情要旨】←テキトーに抜粋してます、見出し、カッコ書きは店主
■開業以来(まだ1年半・・)営業努力をしている当社だが、起点を同じくする信達軌道が蒸気から電気動力に変更し、当社事業を脅さんとする事実にして、この挑戦的行為は放置しがたいものがある。
このままでは営業困難の悲運になりかねないので、自衛の策として(信達軌道が)開通以来放置している鉄道省福島駅までの3鎖(複線部分約60m) を延長(活用)して駅前に乗り入れ、旅客の利便を計りたい。

既に大正14年5月8日付甲第226号で線路工事変更の認可申請しているので、事情御憫察の上特別に検討してくださるよう懇願します。※御憫察:へりくだりにも程がありそうな文言・・

■信達軌道の停留場名称変更による旅客誘導
信達軌道は起点から伊達、川俣、梁川、桑折及び伊達より分岐して湯野温泉(飯坂温泉)に至る線路があるが、当社は福島~飯坂温泉間のみ営業している
今回、湯野温泉地停留場、旧称 十綱駅(停留場)をわざわざ飯坂停留場※と改称、列車行先も飯坂行と改め、福島~飯坂間直通営業の如く装って競争を挑み、遠来の旅客を誤誘導し、所要時間も信達軌道が1時間のところ、当社は30分であっても、旅客の利便を無視した行動で最も遺憾とするところ
※十綱→飯坂(T12)→湯野町(S18頃)と電停名は変遷

■信達軌道が福島駅前に敷設して使用していない線路3鎖(複線部分約60m) を当社が利用しても、多方面に路線がある信達軌道に特に不利にはなるまい
信達軌道は鉄道省福島駅前に停留所を持ち、駅内及び駅前広場を利用して一般旅客にPRしている
対して当社は両側人家稠密な間に介在するので、幾十の広告を為しても容易に電車の存在を知らせることは困難な状態にあり、信達軌道の広告と誤認されやすく広告は徒労なのが実情

■当社起点は福島駅から約50間(約90m)の場所なので、連絡時間を失すること多々あり、ことに雨、雪の場合の如きは不便甚だしい。
省線との連絡もしくは接近を図ることが旅客の利便を増進すると考える

以上の事実を篤とご調査の上、何卒線路及び工事方法変更の認可を陳情します 
大正14年10月9日 社長 髙岡 唯一郎
 ↑↓担当者略図に機回し線が入っていないのが残念
もし無ければ推進運転になるが、当時としてはあり得ない
信達軌道の動力変更(改軌・電化)出願とほぼ同時に同じ区間に飯坂電車の延伸申請があり、併せて調査中なので、この3鎖の区間の検討・判断は相当先に見送ることとした( ←左端文)
↑大正14年10月22日付 照会案?現代訳不調 ↑大正14年10月22日付で追願書の進達   ↑福島県に大正14年9月26日付照会 
 ↑歩道を自社で拡幅するけど、大正20年10月31日まで猶予をくれ
県は大正14年9月14日付けで信達軌道の特許線路と重複するので
共用の協議をさせるが、現在協議が成立する見込みは無い・・・。
 大正14年9月17日の内部検討文書で両社の話がまとまらないので
両社の線路を認めたらどうかとする机上の案まで出た
 駅前3鎖工事保留の攻防 信達軌道、工事突走る
 大正14年11月1日付 飯坂電車が信達軌道は工事の保留(未認可)区域で勝手に改軌工事実施してると上申
→大正14年11月5日付 国から県に照会
→大正14年11月13日付 信達軌道 県経由で始末書提出
→大正14年11月17日付 県から国へ「上申に関する件」を信達軌道始末書とともに国に報告
大正14年11月1日付けで軌道管轄の内務省土木局長宛に飯坂電車から「上申書」が送られた
内容は信達軌道が認可されていない3鎖(約60.3m)の区間を改軌(電化は?)したという飯坂電車の抗議が。
「福島県当局に質問しても、認可なき状態なのにかかわらず監督甚だ緩慢にして黙認同様の姿」激烈な言葉が並び、お国から福島県当局を締め上げてくれと上申(告発?)文書を発送
早速、国は大正14年11月5日起案、9日付発送で福島県知事宛に事実取調を行うよう照会した←憲政会の力?上申書の言葉も行政府の県を指して「監督甚だ緩慢にして黙認同様の姿」等と記載は地元平民(会社)が使うのは禁句であろうに。やはりこのような書き方が出来るのも←憲政会の力?? しかしその後・・・
 ↑右から軌道工事着手報告,照会回答,始末書
■大正14年10月30日付 福島県知事から鉄道大臣宛 信達軌道が工事に着手したと報告
お国の土木局は信達軌道の改軌申請に3鎖区間が含まれているが、この3鎖区間のみ検討・判断は相当先に見送るとあり、信達軌道の改軌工事認可は既存の駅前3鎖区間のみ留保され、着工不可になっていた
■大正14年11月  1日付 飯坂電車の上申書
■大正14年11月13日付 信達軌道は
「施工上の打ち合わせを欠き」、「施工してしまった」、(県の連絡で)直ちに工事を中止、旧状に復したので事情御諒察ください。とする「始末書」を国宛てに県経由で提出した
※旧状:762mmに戻した?
■大正14年11月17日付で国の照会に対し福島県
10月16日付(文書番号)監鉄1818-1の留保(工事不可)区間について、信達軌道に伝えているものの、会社は改軌工事を千葉鉄道連隊に「演習」として工事をさせており、打ち合わせ不徹底で既存の3鎖区間の762mmレールが敷設されているこの区間も「ヤッテしまった」とした
この区間の撤去を命じ、原形に復させた。と信達軌道の始末書を徴した上で国に返答した
※1067mmを762mmに戻すことで「原形ニ復セシメ」と捉えることも出来る。撤去ではなさそう

福島県を「監督甚だ緩慢にして黙認同様の姿」と大正14年11月1日付で飯坂電車が福島県を糾弾しているのに対して、短期間で信達軌道とは鮮やか(速やか)な連携プレーと思われる 
[素人な疑問]
762mmゲージで敷設認可を得て営業して既得権があるはずの信達軌道が、後発の飯坂電車の申請があるからと、改軌の際にこの3鎖だけ工事を補償もなく留保されるのは、通常ありえない既得権の剥奪で、ある意味飯坂電車の持つ政治圧力が強かったのではと思われる
今の時代だったら裁判に訴えたら、どういうお裁きが出るのか。もっとも仕返しが怖いのでやるわけがない?
↑やっぱりねぇ~(仕返しが・・・・)
■大正15年5月14日付 飯坂電車は国宛「陳情書」
大正14年5月8日付で福島駅前乗り入れ申請を出したが道路拡幅を理由に未だに認可をもらえない。
これは当社の経営に取って一大事。
さらに仄聞(噂)によれば福島電気鉄道(旧信達軌道)は仙台鉄道局長に駅前の土地借り入れ承認をもらったと聞く。(後続の文章はライバル会社の施策に対する泣き言)んで、文末で道路拡築を条件に線路延長を至急認可してくれ。
※下段の「大正15年2月5日仙鉄局長鉄道用地一部使用承認」のこと
■大正15年5月14日付 飯坂電車 国宛「上申書」大正15年4月6日付で申請した線路変更区間の許可申請したら返戻されてしまったので、御省の御指揮を仰ぎ、何卒ご調査の上拡築猶予期限を付けて線路変更(延伸)を認可してくれるよう御慈命を賜りたく・・
という内容
この時点で福島電気鉄道が大正15年3月8日付「線路変更敷設認可申請書」を福島県経由で申請したことを知らないのか?知っていて知らん振りしたのか?飯坂電車会社側は下記の文書等を連発、「焦眉の急」の危機感が満ちあふれている
---------店主妄想--------
飯坂電車の大正14年11月1日付上申書で福島県はこき下ろされたというか、顔にクリームパイを投げつけられた状況が根っこにある?ので同年4月14日付で申請書は「軌道敷設の申請じゃないか」と協議が整っていないとして「返戻」してしまった(左上文書)ことを言っている
また、当局者にしてみれば既存区間の拡築すら出来ていないのに、やるやる詐欺のような状況で、「判った、拡幅は後回しになるのは現状を知りつつ敷設して良し」として狭い道路に線路をひしめかせる訳にはいかないと言う第一義の事情もあったと思われる
さらに、大正15年3月8日付の福島電気鉄道の駅前延伸の申請が出ており、もはや受付けるわけにはいかない内密な事情が
※受付ければ県、国としても「もっともと思われる理由をあげつらって却下」するしかない面倒な稟議や書類作成があるので受け付ける手前で申請を「返す(受け付けない)」としないと面倒なことになるので・・
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それを再度、大正15年5月14日の同日付の「追伸書」で国に「県に許可を出すように御指導を」圧力を掛けてくれと泣きついた
↑泣きつかれた国は大正15年5月18日起案(写し文書)とある「軌道工事方法変更」照会文書で
福島県知事に「両社に線路の共用をするよう協定をさせなさい」と指導を行った。
「なお」書きで大正14年9月24日の照会文書に記載した「駅前道路上において乗降は支障があるので省線構内に引き込むか若しくは他に適当な方法を講じるように指導しなさい」と、大正15年3月8日付の福島電気鉄道の駅前延伸の申請書を机の脇に積んでおいて県に両社の調整を迫る。が、県は「無理ッス」・・・
仙鉄局長名の承認「請書」の提出用文案
 ↑↓大正14年12月23日に出願された東北本線福島駅構内鉄道用地一部の使用許可
大正15年2月5日仙鉄局長名で鉄道用地の件、一部条件を付けて承認する
から左記の全文を請書として記載して福島保線事務所経由で提出しなさい。の案文(写)
【右:鉄道省赤枠文書】
2項 「使用区域は別紙図面紅色の位置」が上の左側図面。
   ※実際には保線事務所が厳密に立ち会うのでこんな図面で良いとしたのだろう
3項 使用目的は電車線路敷設用とし、目的以外に使用しない
==途中項は使用料や返還時等が並ぶ==
10項 「赤帽詰所」「弁当部」等の超懐かしい名称が
12項 用地内の電車柱は当局の承認を受けなければ広告その他の類する事項を掲載出来ない
14項 電車線路は舗装をする
これを清書して提出すれば良いと、なんとおおらかな・・・
【左:鉄道省仙台鉄道局(緑枠)承認決裁文書】
大正15年2月5日仙鉄局(請書として浄書、提出するならこの内容で)承認する
■福島電気鉄道は
仙鉄局とどのような人脈つながりがあったか、スムーズに駅前用地の借用使用権を得てしまった。しかし、
線路工事を留保されている「3鎖」区間を解決しなければ線路が承認用地に繋がらない
 出頭・・・
何気ないペラ3枚のペラ書類が目に止まる 
大正15年11月2日付である
  ↑大正15年11月2日付でお国は飯坂電車社長に面談事項があるので出頭相成度(東京にいらしゃ~い)と連絡
まぁ、「出頭」とは現在では警察関係でしかお目にかからない用語だが、社長は福島から汽車に揺られて上京さて、中央の文書部分の鉛筆書きにご注目~。「福島電車との合併協調の件」と書いてあるではな~いですか
さぁ、この面談で一体どのような内容が交わされたのか?同席者は誰なのか?とか勘ぐりたいことは山ほどあるが、スルーします
権力構造のトップのお国が呼び出すんだから、何らかの段取りは済ませているはず。多分外濠が埋まった
※福島駅前の工事の申請が出ているよ。認可すれば1ヶ月で完成かも。と「認可するよ」を盾に・・・。
役所の苦悶
 
その直後に鉄道省監督局の担当者(主計)は下記のお手紙(文書番号もないので文書では無い?)で福島県に泣きを入れていた
要旨としては当方も飯坂電車と福島電気鉄道の合併を慫慂しているが、未だに未成立。
(先般)当方のトップが懇々説得?(上京出頭のこと)したので、福島県においても、この期を以て合併を猛プッシュして欲しい・・・ ※担当者は局長から相当なパワハラ(役所はパワハラ天国)を受けたのかなぁ~。とか
大正15年11月は12月24日に大正天皇が崩御されてたった一週間の「昭和元年」が終了の1ヶ月前。
翌年は昭和2年・・・。
そして、飯坂坂電車のたった3鎖の延伸大騒動は遂に・・・。
出頭から約5ヶ月後には合併契約を交して1927(S2)08.31付で宿敵?福島電気鉄道は飯坂電車を吸収合併した
↑↓両社は昭和2年4月17日付けで同年8月31日付で合併する契約を結び
県経由で国に合併の申請書を提出した
 ↑合併認可の起案が回議される
担当者はさぞホットしたことだろう
 
 ↑運休区間も記入されている「全盛期」
 遂に3鎖部分を強制解決?
駅前乗り入れ工事認可が下りる
↑遂に大正15年3月8日付で申請された「線路変更敷設認可申請書」
福島電気鉄道は
(1)大正14年3月14日付で駅前乗入の工事方法変更認可申請(改軌・電化)を行った
(2)大正14年10月16日付で起点零哩零鎖~3鎖間を保留されて以外は認可された
(3)熟慮研究の結果、福島駅構内に乗入れる以外策は無いとして(仙鉄局に鉄道用地一部の使用許可) を申請
(4)大正15年2月5日付で用地使用の承認をもらった
ので(保留の3鎖部分の解除を含め)線路工事の変更を申請する
しかし、両社の争いは収まっておらず、当面「塩漬け」案件となった。
大正15年の翌年、昭和2年4月に合併契約、申請が出た時点で遂に回議が再開されて認可が下りた。
遂に保留の「3鎖」区間について申請が出て回議に入る
国が県に指導(照会)した2社の共用については大正15年10月1日付で回答。
下記右の文面(左赤線)にあるように県としては「サジ投げ」状態で国は回議保留
その後昭和2年4月に合併契約、5月25日付で合併申請。このあたりで回議再開。昭和2年7月11日認可となる
申請書には認可後「1ヶ月」で完成と記載されているとおり、認可後、即、福島電気鉄道は工事を開始し、昭和2年8月には使用開始した(日は不明-連絡線使用延伸申請より)
 ↑上図の連絡線の跡と思われる図面
■文書右から
(1) 福島県より申請書の副申 大正15年10月1日付
鉄道用地一部の使用許可を仙台鉄道局長から認可をもらい、福島駅構内に乗り入れが可能になった。
貨物や旅客の利便上、工事を保留されている3鎖を含め認可は必要と考える
大正15年9月7日に()指導のあった「両会社協定については相当尽力したが現今の情勢では到底見込みが無い」ことを申し添えるとある
県がどのような尽力をしたのか、さらに両社の対応などがが一番気になるが、これは不明・・・。
※大正15年11月2日付で飯坂電車社長へ国からお呼び出し(上記)
(2-3) 認可案文 昭和2年7月11日付(1から約9ヶ月後)
※合併が成立したと回議中の(1)の副申書類に青鉛筆で書き込みが
(3)福島県に対して
1 駅前道路踏切箇所に警備員を置く
2 踏切の線路(レール、護輪軌条)の間に適当な材料を充填すること
とあり、
左端の県の担当者からの副申(2)※赤線上下の抜粋について、電車は乗客列車が着駅後15分間以上経過しないと発車してはイケナイとしたが、国はこの件は「(担当者)福島県の裁量事項だからに県に任せるとした
実際に福島電気鉄道がこの案を丸呑みしたのかは不明
昭和2年5月6日付で合併直前?の飯坂電車が大正14年5月8日付の工事方法変更申請書の取り下げ願提出
■昭和2年5月23日付で福島県知事 今般、両社合併成立(合併年月日は昭和2年8月31日)につき取下を副申
■昭和2年7月14日付 監軌1287号1で福島県知事宛工事方法変更申請書を返戻するが、福島電気鉄道が大正14年3月14日に申請した書類は3鎖部分を除き認可されることになるので、この部分を分割して返戻出来ないことを連絡しとくね。ファイナルジャッジ!
悲 願 の 連 絡 線 完 成
飯坂東線との連絡線も認可が下りて駅前乗り入れに
 ↑上記の認可と
 ↓このような迂回路新線を計画中だが、時間がかかるとして
この連絡線は一時期使用するのみと申請した
 ↑結局、この案は直接省線福島駅ホーム
乗り入れによって幻となってしまった。
↓上図の計画連絡線建設がほぼ絶望になって
いよいよ省線に腹付の新線案(赤い点線)でを記載した
福島電気鉄道に合併することになり、線路の共用が可能になって敷設認可を昭和2年7月11日付取得
敷設認可文書(未発見)に代わる説明として、昭和3年9月10日の決裁文書に連絡線の詳細記載があり、
※文書の拡大部分要約
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(1)連絡線の位置
飯坂西線の起点と飯坂東線起点1鎖25節と接続する
敷設認可 昭和2年7月11日※T15.04.06福島電気鉄道はこの区間の改軌・電化を完成。共用は可能な規格に
使用期限 昭和3年7月10日
(今回)延長出願 昭和5年7月10日迄

(2)連絡線の使用期限の設定理由
本連絡線認可当時本連絡線に代わるべき環状線(東西直通運転)敷設の計画がある旨申し出があったので、本連絡線の使用期限を付けた
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と経過が記載され、下欄の会社発の使用期限延長願いには「昨年(昭和2年8月)に連絡線を開業し」とあるので使用開始は昭和2年8月と考えられる

なお、本来のこの文書の作成主文の理由は
(使用期限延長)理由
本連絡線に代わるべき計画線に於いて用地買収に応ぜず
飯坂西線起点付近約1哩は道路拡築を命ぜられているを以て、
この際起点付近1哩の新設軌道に変更すべく目下計画中なり 
で、いよいよ省線沿いの路線の構想が見えてきた(現在の変更計画線)と地図にある赤い点線
↑延期願いの文体が現代仮名遣いに近くなってきた。(そんなことはどうでも良い・・)
「昨年(昭和2年)8月、連絡線の営業開始によって乗客の利便向上、乗務員、車両の本社一括管理が出来て大変な利益でございます」と認可を持ち上げて・・・
さて、「計画していた循環線(東西直通運転)は地主が買収に応じないため絶望の様相。(中略)
このため福島起点森合高商前間延長一哩の区間を東北本線に沿って省線福島停車場に至り、適当な地点で現在の乗入接続する新設軌道に変更いたしたいと目下計画中」
「当社と省線の接続が現状に比較して格段に優れ将来の高速度運輸計画の一端として・・・」と2段階の変更が記載されており、ここにおいて、飯坂西線の現在の線路の計画が明らかになった。 
 ↑合併後、昭和2年8月、連絡線の営業開始後の福島駅付近線路 
↑↓S05.07.08付の「新線計画頓挫」の文字もある連絡線認可延長申請
↑S11.04.30付の認可延長申請の進達
↓審査 この時期にも東北本線腹付の線路移設の図が書き込まれている
 ↑タイトルに「(仮設備)連絡線使用期限」と(仮設備)が書かれている
第1回~からの使用期限認可願いの過程、財界不況も記載されている
 ↑↓昭和15年8月7日付延長認可
当時単線の東北本線に平行して福島駅に乗り入れるべく
仙鉄局(懐かしい呼び名じゃ)に借地を出願中
↑←←左文書:第1回~5回までの使用期限認可願いの過程 
↓↓ 飯坂西線の新旧軌道の状況(福島駅・福島駅前~曽根田先)
 ↑飯坂東西線の起終点(部分認可状態)と西線廃止後にも
東線貨物扱のために残す貨物扱引込線迄の併用軌道
■大正13年4月に開業、昭和2年8月31日に「福島電気鉄道」に吸収合併され、たたった約3年4ヶ月間存在した「飯坂電車※福島飯坂電気軌道時代も含める」だが、合併から97年経過した2024年現在、吸収した「福島電気鉄道の併用軌道の飯坂東線は昭和46年4月に廃線」となり、鉄道線として飯坂西線が生き残る現在に経営者の先見の明を感じる 
 (閑話休題?)貨物営業開始に伴う引き込み線路敷設
飯坂電車は駅前延伸でゴタゴタする中、貨物営業を始めたいとして大正14年10月14付けで起点より3鎖10節、4鎖81節に分岐点を設けY字型の引き込み線の申請を行った
 ↑図面横位置説明文をを縦位置にしてみました~。
点線の囲みで便所もあります
 ↑県は(軽微なものとして)認可をして国に報告したが、早速、照会を受けてしまった 
国は道路上に近接した2個の分岐器は適当でないので1方だけにするように。としたが
県は「市道(と記載しているが県道の管理延長では?)で通行量が少なく、
番人を置いて交通上取締をする云々」と回答し、切抜けたもよう
しかし、お国の役人が出張調査した図では「市道筋」でざっくりまとめている
真剣に道路台帳で確認しないと。と無責任に両論の図を貼り付ける店主
↓↓S16.11.11申請に使用された道路管理区分記載の図
↓T13.08.14付の拡築猶予申請「出張調査」を元にした作図 (古図にあたる)
※国関係の拡築猶予申請等はその後、毎回、この図が準用される
「(市道・国道)筋」と記載しているのでひょっとして大阪人の係官??関東で「筋」と表記しないような?
飯坂温泉(Ⅱ)延長開業 
  S02.02.21付で飯坂温泉(Ⅰ)→改称:花水坂
飯坂温泉(Ⅱ)の延長工事が完成して認可された
 ↑お国の担当者のわかりやすい画
↑飯坂電車の延伸線飯坂温泉(Ⅱ)と福島電気鉄道 飯坂(湯野町)
仮に福島電気鉄道 が川を渡りたくても大正4年までの十綱橋は
木橋で耐力が無くて軌道の敷設ができなかった??川の手前が終点
同年9月に現在の元祖?となる鋼製アーチ橋になったが、電車の耐力は
十綱→飯坂(T12)→湯野町(S18頃)と電停名は変遷
↑飯坂東西線と福島駅への新規専用軌道(赤色)、在来の併用軌道(茶色) 
 その後の進展
1942年(昭和17年)  12月03日 鉄道省福島駅端に乗入、森合付近~福島駅前付近の併用軌道の貨物扱線手前までを同日に廃線した※詳細は飯坂西線福島駅乗入と専用軌道化 ページで
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1945年(昭和20年)  03月01日 飯坂西線を軌道法→地方鉄道法に変更認可
1950年(昭和25年)  10月?日 パンタグラフ化
1951年(昭和26年)  03月?日 架線電圧を600Vから750Vに昇圧
1962年(昭和37年)  07月12日 社名変更 福島交通
以下いろいろ現在に至る 
【参照文献】
ぜかまし文庫様、鉄道図書刊行会 私鉄車両巡り特輯3分冊 福島交通 川上幸義様著,同、鉄道ピクトリアル477号35年前の東北私鉄 瀬古達雄様著、同、福島交通 松原 淳 様著、同 日本民営鉄道車両形式図集,電気車研究会 私鉄史ハンドブック 和久田康雄様著,朝日新聞社 世界の鉄道'66並びに’76年版、日本車輌鉄道同好部、鉄道史料保存会編著 日車の車両史戦後私鉄編, とうほう地域総合研究所 「いい電」誕生物語 柴田俊彰 様 
東北・関東圏 の 国・私 鉄+◆観光
津軽鉄道 未up 下北交通開業ダイヤ小話 五所川原立佞武多,JR臨  虹のマート(弘前) 南部縦貫鉄道 未up
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十和田観光電鉄(その1)  十和田観光電鉄(その2)   十和田観光電鉄(その3)   栗原電鉄(その1)  栗原電鉄(その2) 
庄内交通湯野浜線(1)   庄内交通湯野浜線(2) 庄内交通善法寺跡2023   (鶴岡市)クラゲ水族館 仙岩峠こまち・乳頭温泉 
 山形交通三山線(その1) 山形交通三山線(その2) 山形交通高畠線その1  山形交通高畠線その2  
福島交通 飯坂線(鉄道)  飯坂電車の合併と駅前乗入 宇都宮・芳賀LRT
仙石線(その1) 仙石線(その2)  (幹)上野開業・福島・赤岩 山田線と岩泉線    会津の蒸気ちょと  
日立電鉄(吊掛時代) 日立電鉄(営団銀座車時代) 茨城交通湊線ひたちなか 関東鉄道 鹿島鉄道
足尾銅山トロッコ2019 わたらせ峡谷鉄道2019 上毛電気鉄道1972+2019  秩父鉄道   
流山電鉄 未UP 小湊鐵道 (その1) 小湊鐵道(その2) いすみ鉄道食堂列車  鋸山ロープーウェー 
じぇじぇじぇ~!
フィルムの危機紹介
・大量スキャンのアドバイス
・店主的フィルムスキャナ比較
ビネガーシンドローム(フィルムが丸くなる)
スキャン営業内容他
ブローニーSCAN等
・フィルムデータ保管法
・取り込み解像度比較
スキャナー用フォルダの例
喰ったら体重倍返し
半皿~ッ!グルメ

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・30分以上多数
旧客峠駅売、山スカなどお勧め
※店名略称:フィルムスキャンs、通称店名:鈴木写真変電所  
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