静 岡 鉄 道 静 清 線
(ハーフ判トリミング大ありです。)
画像追加分以外は全て試験的に粒子平滑化ソフトを使用。輪郭が柔くなっています。
生録:300系ミュージックホーン吹鳴運転※画像を全て読み込んでから再生してください運転中のミュージックホン吹鳴
を中心にするため、乗降音短縮等して継ぎ接ぎです。
302号普通列車の吹鳴運転と、ミュージックホンをOFFにするスイッチ音や加速音、国鉄と平行しているので、
停車中に長編成の貨物列車通過音等(今となっては貴重?)が順次聞けます。後半数秒途切れますが、
80系に追い抜かれつつ、力走中で終了こちら・再生の方法やお約束については→こちら
探していた白黒ハーフが30コマ程度出てきましたので系列ごとに編成替えしました。
 クモハ17号のコマ発見(2017.10)
なんじゃこりゃ〜と驚く店主だが、知ってる方からは、アホ〜今頃になってと笑われているはず。
相方の16号の写真は無く、17号のこれしかコマ無かった。ネガ見て100形と思ってた・・・。
※鉄道ピクトリアル779号譲渡車両巡り「東急の車両譲渡を顧みて」宮田道一様記事を参照させて頂きました。
↑クモハ17号+16号 
21系と同様のHゴム客窓で3扉車体延長版のような車体。元は東急の戦災割当の放出車として静鉄入り。
17号は池上デハ102→モハ121→東急デハ3252(1949.2.19廃車)東急デハ3252→静鉄入線時モハ501→S29.7.1.一斉改番→モハ17→クモハ17。
写真後方の16号は池上デハ101→モハ120→東急デハ3251(1949.2.19廃車)→静鉄入線時モハ500→S29.7.1.一斉改番→モハ16→クモハ16
S44に↑↑の車体に更新。S50廃車。何となく車体中央が垂れているように見えるので、短命も仕方ないような気が。 
 更新前の17号と同型の庄内交通101号だが、スリムに見えるのはこちら。 
 さらに怪しい車両発見!! だが・・・。既存ページ24号の後ろにあった!。今更気づくな!
拡大 同型らしい3両。たぶんクモハ2+クハ2他?では調査中ということでしたが、
2018.04.某日「静鉄沿線に住むひまじん様」から、月影様の静岡鉄道のページ
掲載されてます。と御教示を頂き、早速、月影様にリンクの御許可を頂きました。
月影様、静鉄沿線に住むひまじん様ありがとうございました。
長沼車庫全景
 ↑最初の訪問時の長沼車庫留置線。100形 300系は貫通タイプ。そろそろ傍流になっていた21系が2本いた。
   1970.07撮影
静岡・清水線 21系のナゾあまりに資料が手元に少なくて・・・。
■画像のリンクに御協力をくださった皆様に厚く御礼を申し上げます(順不同)
・月影様ホームページ「THE電車」
・思いで鉄道探検団様思いで鉄道探検団
   ・M.TADA様 汽車・電車1971〜
・む〜様 む〜さんの鉄道風景
■参考資料
鉄道ピクトリアル1963.1奥田愛三様著、静岡鉄道、朝日新聞社刊世界の鉄道’66他
以下車両記号、諸元は世界の鉄道’66を基本として記します。
※20系の撮影時期は1970(S45).7月です。
■21系 稼働時期のナゾ
静鉄は他社と同じく湘南電車のお面作りの流行に乗った。
静岡線では1958年4月(S33)(書類上)に自社長沼工場で製造された、車体長14.14mのクモハ21+クハ21のの固定編成が端緒。
奥田様の記述によれば、1957年秋に静岡市で開催される国体に合わせた輸送力増強車両との記述があり、1957年.6月にクモハ21、クハ21が竣工とある。
次いでクハ6の計3両が竣工、クハ6はクモハ6+クハ6で活躍の後、クモハ22が竣工した際に相棒として改番、固定編成化したとある。
国体に合わせるためとはいえ、書類から見れば、1958年に竣工したときはとっくに開催が終了していておかしい。
クモハ22が1958.11に竣工し、クハ6をクハ22化してと組成して稼働した記述があり、1959.4月設計認可と付記がある。
世界の鉄道’66はクモハ、クハが1959年になっているので多分、車両を先に製造して使用し、役所への届けを後にしたようにもとれる状況と考えるファン的な解釈としたい。
実際の稼働時期のナゾは深まる。

なお、特徴として
・21Fの側面は2段窓で上段固定、下段開閉式。
   竣工まもなくは前面の車号表記を窓下中央ラインを境に2と1に分けて21と大書していた。
・クハ6、クモハ22から側窓の上部がHゴム固定の俗に言う「バス窓」化で竣工
・23、24Fは車体長を14.39mに延長、車体幅も7cm拡張し、乗務員室扉付きで登場。
   車端部は連結器の関係からカーブで裾が一段下がっている。 
・23Fは1960.11設計認可(1960.4竣工?)、24Fは1961.01(1960.10竣工?)に車両増備認可と記されている。
・25Fは正面上部中央に方向幕を付けて1962.1車両設計認可(1961.04竣工?)となっている。

まぁ、地方の鉄道は所管する出先の監督官庁「緩いのが当たり前の時代(尻をたたいても書類が会社が出てこないという話もあり)」
今のネット社会で、内緒で改造して試運転したら即刻、タレ込まれる御時世とは全く無縁のよき時代であったことには違いない。

■お面の百変化のナゾ(改造時期の不明だらけのパズル?)
<>1-1 前面ベンチレータ改造取付車
   製造当時はクモハ21、クハ21は大きな4隅R窓であった。
   ところが、スタイル重視のためなのか、運転台に風を入れるような構造でないので乗務員から苦情殺到?
   で急遽、窓下左右にベンチレーターを取りを付け、取り付け寸法を確保するため、ガラスの下辺を詰める方法を取り、
   ガラスを取り替え?。  強化ガラスは切ることは出来ず、新製となる。強化ガラスで無ければ切削加工可能・・・。
   竣工直後の写真を見てみたい。
1-2 前面ベンチレータ竣工時取付車
    クハ6(22)、クモハ22から取り付け済みで竣工と思われる。しかし、
    奥田様のクハ22の説明の項で「33年.11月にクモハ22が竣工すると(中略)クモハ22と大差が無いが、出入口の形と
    前面フロントガラスの形が異なって・・・」の記述で、上位機1-1の改造組かもの疑念はある。
    またはガラスを21Fの時に一緒に納品されて既に在庫していた?
1-2 前面ベンチレータの撤去  
    雨水の浸入や冬期のすきま風苦情?があったためと思われるが、晩年に撤去されている。
2-1 方向幕その1
    25Fが前照灯の真下に方向幕を付けて竣工、その後21F〜24Fの前面左側に設置したと思われる。
2-2 方向幕その2
    中央取り付けの25Fは、左側に付け替え
2-3 方向幕その3
    21F、25F方向幕撤去、埋める。(22、23、24未確認)
2-4 方向幕その4
    方向幕窓を左上に復活し、
    22は外した4隅R付き大ガラスを復活?行き先板差枠を撤去
    25は4隅のRが小さいが、大きな前面ガラスに直す
3-1 ヘッドライトその1
    23Fシールドビーム2灯化(方向幕撤去と同時期施工?)
3-2 ヘッドライトその2
    23F(2灯シールド)を除き、1灯シールドビーム化
3-3 ヘッドライトその3 
    23Fのヘッドライトを他と同様に1灯に改造
4-1 車体
  (1) 客用窓 
     21Fは2段窓下段のみ開閉可能タイプで竣工したが、その後他編成と同一の窓タイプに改造された。
  (2) 乗務員扉 
     21F、22Fに取付け工事を行った時期?
    
5 21系の廃車時期
 (1) 21系の廃車はどの編成からいつ頃始まっているのか。
   (2) 時期をずらしながら百変化。長沼工場の改造技術力維持のため、繰り返し小改造をしていたのだろうか
 (3) 取り外したガラス窓を長期に保存、蔵出しして使い廻しをしたのか等々
 (4) 何回か異なる形の前面ガラスを入替えた車両は、そうないのではないだろうか?  
 (5) 時期が間違っているところがあるとは思いますが、数字見出しの改造の事実はあったようです。
 この項のご指摘をいただいたり、気がついたら直しますのでよろしくお願いいたします。
 ご教示頂ける場合、こちらからメールをお願いします。静岡鉄道に関して
 ↑湘南形のままより笑わせてしまおうと考えたのか「笑顔」になった。その昔は4辺上の角度のようであった。
 ↑↓撮影日はクハ21+クモハ21が行ったり来たり。日中は運用減だから仕方ないか。
 ↑↓通風口付けるために4辺大きいR窓は上だけになった
クハ22-クモハ22には方向幕が付いているが、クモハ21にある方向板、急行板差し2箇所が無い。
↑正面画像のウニョウニョ模様は強力アンシャープに画質軽量で圧縮したjpegの「紋」
22Fの前照灯はシールドビーム化されたが他番号車と取り付け位置や大きさが違う
 ↑24F。21,23,24Fは連結器関係で骨組み自体を下げ、車端が下がっている。方向幕付、
前照灯埋め込みシールドビーム仕様だが、22Fとは取り付け位置が違う。
自連の形式が違い、流用品に合わせるカスタムメイド。
モハ21形25
↑21系最終編成25F。窓は当初より小型。車体の裾は直線。方向幕無し。前照灯白熱→シールドビーム仕様改造・ 
自連の取り付け位置が違う。リコー6×6判のレンズシャッターは1/100なのであっさり流れる。
静岡鉄道モハ21形21  静岡鉄道21系25号
↑21F 新製時前面ガラスの上部のRが下部にも付いていた。方向幕が無い。 ↑25F。運転台が灼熱地獄?動物の鼻のように通風口が開く 
 ■21系をはじめ、貴重な静岡鉄道を掲載サイトのご紹介(順不同) リンクをご快諾いただきましたことに御礼申し上げます
 →月影様ホームページ「THE電車」サイト内「中小私鉄」→「静岡鉄道」にて<>サイト内は貴重で素晴らしいカラー写真多数です。 
  →<>思いで鉄道探検団様 湘南フェース探検団→03年8月2回目
  →M.TADA様サイト(画像提供)→汽車・電車1971〜 サイト内に多数のよき時代の貴重な画像がアップされておられます。
 →む〜様 →静岡鉄道駿遠線併設→静鉄電車館  静岡鉄道静岡線、駿遠線の多数の貴重な画像と資料満載です。
↓↓ <>1968(S43)5月修学旅行の167系の窓からショット
静岡鉄道300系302 静岡鉄道100形103
↑クモハ300形
右の100形とともに、各窓の大きさ形状に注意。
 ↑クモハ100形101〜106はcMcの2連。
運転台窓の形状にご注目。<>デカ目玉車103号
静岡鉄道100形109
 ↑両運転台で登場した100形だが107以降2両固定で登場。109+110は連結面にパンタを搭載。1970.07撮影
床下写真に関してもただ貼り付です。順番や背景などを御考察の上ご覧願います
何でも貼り付けちまいます (苦笑) <>ひで〜普通貼らないよな〜
 ↑↓デカ目玉 クモハ103+<>104
製造時は101,102も<>デカ目玉だった。105〜は不明
 
↑↓ 103+104は100形の中で最後の更新になったよう。
上にあるS43比で運転台窓がワイパーの関係か変更されている。
 
 
 
 
 ↑↓前面のガラス3枚は全て違う。
 
 
 
 ↑↓運転台側、車掌側の窓の大きさは一緒だが、運転台側ワイパーモーターの部分を欠いた仕様
静岡鉄道100形110
↑貫通時代の110+109 1970.07撮影
<>静岡鉄道100形101非貫通化工事中
↑101号の非貫通化工事中。前照灯も小型(シールドビーム化)
どうも様々な車両の余剰?予備?前面窓ガラスの流用(更新前を含め3種)を考えているフシがある。1970.07撮影
<>
↑クモハ101 非貫通化工事の完了。中央のガラスのRが大きいのが特徴。ワンマン工事完了か?
貫通時代の左側の窓を流用した気もするが。芸が細かい1977.05撮影
<>
  ↑1977.05撮影 クモハ107 前面の方向板差しが中央1箇所になった
<>
↑1977.05撮影 クモハ108
 
↑ クモハ109台車
 ↑  クモハ109床下廻り1977.05撮影
↑連結面。上下にスクロールしてください。
棒連、ワンマンドア閉め予告電鈴付
↑クモハ110  ↓熊電501 熊本電鉄500形のページ 
 
 ↓506
 ↑熊電に嫁いだモハ506(クモハ108<>)
 300系
 
 ↑上の100形に比べ前面窓が貫通路の関係で狭いので、ワイパーのエアモーター避けの山が急斜面になっている。
 
 ↑車体をクモハ100の車体幅2,700mmの153系東海型風の腰板から下すぼまり構造をやめ、
  車体裾部のみRを付けた当時の日車風のおしゃれ施行。結果、車体幅は2,660mmと40mm狭くなった。
大した混雑の無い当線では40mmの差など関係無いだろうが、設計、製造陣の「流行感覚」には敬服電鉄
 
 ↑古いネガはサッと「ひと拭き」するだけで感光材料がまる剥がれ
 
 
 
 
 
↑1977.05撮影 貫通路が埋められて300系は銀色になった。
1000系が導入されたのでステンレスカーに近い高性能車をアピールするために塗色変更したのか?
 
↑クモハ303号はワイパーの駆動の軸穴を通すため、今までの凹ガラスからの特注費を削減したのか完全小窓化した。
クモハ303とクモハ109前面バックミラーでワンマン対応工事完了か 1977.05撮影
 ↑ FS363
 ↑ワンマン化の際に取り付けられたドア閉め予告ベル
<>
↑301号1977.05撮影
福井鉄道300形のページ
<>
  ↑クハ1501と1503の並び 1977.05撮影
 
↑↓東急車輌7200系のニホイがプンプン車両 
よくぞ頑張った!静鉄、その後a1000系で経営強化。頑張れやぁ〜。
 ↑ 1007F  1977.05撮影
↓おまけ(~~;)
このオマケが民営化後、静清線の経営を脅かす
 
静岡鉄道長沼車庫
↑タイトル写真がハーフのカラー。こちらは6×6切り出しの構図。1970.07撮影 長沼車庫
静岡鉄道モハ20
↑元鶴見臨港の車両。行き先板は付けていたものの、入換車として使用されていたようだ。1970.07撮影 デハ20形
  ↑デワ1形 新清水方
     貨車と一緒に。秋葉線のような情景。貨車は鋼製、デワはほぼ木製の妙。バッファの高さが両車合わないような。1977.05撮影
 ↑  デワ1形 どう見ても鉄板を使ったところが無いように思えるが・・・。1977.05撮影
 ↑デワ1形新静岡方 1977.05撮影
 清水市内線
 
 
 ↑↓水道管で雨樋を作る素晴らしい技術
 
 
 ↑↓一番近代的スタイルの62号でも雨樋水道管!
 右側:新清水駅からの線路。後方に折り返し渡りが見える
 
↓↓モ58+59の2両連結改造車と57あたりか??。留置の線路後方はこの連絡線↑↑          
<>
 ↑清水市内線   モ58+59の2両連結改造車   1970.07撮影  
 
↑ 店主S46年の一泊遠足??で由比〜蒲原間、バスより激写。この頃は静鉄も駅数や運行回数で競合ほどの関係では無かった。
 
箱根・伊豆〜名古屋・モノレール関係 
伊豆箱根 大雄山線 伊豆箱根 駿豆本線  修善寺ロムニー鉄道    大山ケーブル(初代) 小田急(黄色〜白)
箱根登山鉄道1970-1 箱根登山鉄道1970-2  箱根登山モハ100と紫陽花 箱根ゴールデンコース+露天湯 オリエント急行でお茶他
伊豆急100系時代 伊豆急100系時代(その3) 185系と200系新幹線登場  三島〜函南EH10+EF66  久里浜庫/元南武鉄道電機 
湘南モノレール開業(1)   湘南モノレール開業(2) YOKOHAMA AIR CABIN  上野動物園モノレール  鋸山ロープーウエイ(初代) 
身延線旧国17m時代 身延線旧国20m時代 岳南鉄道機関車健在の頃  岳南鉄道モハ1100他 岳南電車2016+グルメ 
静岡鉄道 駿遠線(録有) 静岡鉄道20〜300形(録有) 静岡鉄道2016 遠州鉄道吊掛4連時代 静岡おでんと由比桜エビ
飯田線旧国-大画面新規入 飯田線旧国時代(ORG) 名鉄本線・各年代 名鉄犬山線・築港線 名鉄空港・神宮前付近
名鉄 三河山線 名鉄美濃町線 名鉄揖斐・谷汲線 日車の兄弟車両(1) 日車の兄弟車両(2)
じぇじぇじぇ〜!
フィルムの危機紹介
・大量スキャンのアドバイス
ビネガーシンドローム(フィルムが丸くなる)
スキャン営業内容他
・フィルムデータ保管法
・取り込み解像度比較

スキャナー用フォルダの例
喰ったら体重倍返し
成人病百貨店盛業中
随時更新中。お立ち寄りを
地方鉄道中心の
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旧客峠駅売、山スカなどお勧め 
鉄フェイクブックNEWS
某急コメント 
 ※店名略称:フィルムスキャンs、通称店名:鈴木写真変電所
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