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↑カビカビで修正不能ですが4連ということで |
影時期は秩父線1969年10月に秩父線が開通する前年〜翌年の1970年夏あたりの写真です
窓が開いてる等の季節感でご判断ください。
★は1973.3月撮影35mm
※このページの注意点
撮影時、多分15〜17歳です。オリンパスペンFでフィルムの箱の「晴れ、曇り」表示でシャッター速度と
露出を決めたハナタレ画像のオンパレード。
後年、バイトで貯めたお金で購入したミノルタSRT-101の画像も一部(★)入っています。
H画像(ハーフ判のこと)の思いっきりトリミングです。手持ちのコマをほぼ全てアップしました。
浅学のため誤記の部分はご容赦の程を。ご連絡を頂ければ訂正させて頂きます。
床下機器写真は101Nのあとに始まります |
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↑西武秩父行き方向幕★ |
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↑カビカビ。補修の気持ちも萎える派手なカビ★
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↑↓お茶の名産地狭山丘陵を走る★ |
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↑↓運転台上の通風口が開けられている。きっと暑いんでしょうね。
↓左の本川越行きと連絡を取っています。昔の所沢駅です。 |
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↑↓所沢駅 後方の連絡橋は池袋駅改札に便利なンでしょうか。古豪ながら頑張っています |
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まぁ101系一族だが・・・
このお面がレッサーパンダ、前面窓の上下幅が狭くて好きくないと言う勝手な理由でフテル店主 |
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↑お面も変わって一時代を築き、最後の3扉10両編成で活躍をしていた頃。 |
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↑↓150kw×4のMc2連。表記上は2両で合計1200kwになる。
保守上各種制限を加えているのだろうが、2連のみの激走り運用があったら乗りたいと思う車両であった。 |
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↑偶然にも右のオデコに黄色い花飾りが(苦笑) |
可愛い機関車だったE31は機器老朽化、電気機関車のハンドル操作出来る要員養成の手間から廃車された。
代わりに誕生したのが101Nオール電動車4両150kw×16個=2400KWの出力を有する牽引機関車代用編成。
車体構造や動力伝達機構等無視すれば、なんとE851総出力比2550kw(425Kw×6)の僅か▲6%の強力編成。
電車運転士でも、社内規定で牽引、推進等々の貨物牽引的練習すればOK? 専門的技能が1種減った?。
引き揚げ線などの余裕があれば、静岡のどこかでも周辺の条件がOKなら凸が変わる可能性もあろう。
反対側はコデなんで。 |
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↑ 支線運用専用とされて種別表示窓が埋められたが、表示器が窓幅より小形のものに変更されていて
中央寄りに表示される様になった。 |
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↑「黄色より〜ぃ、ふつ〜ぅにホワイトがすっき〜ぃ〜っ」・・・
不可抗力でラッセンしてしまった車両も発生←ナゾ掛した不謹慎ですいません。
お別れ運転の時は黄色に戻れるのか・・。シールベタベタの時期じゃなくて良かった・・・。 |
101系非冷房車 原形時代の役にたたない床下機器写真
自分で作るつもりで撮影してそのまま47年が経過してしまいました。以下興味のある方はどうぞ。 |
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↑↓101系トップナンバー編成。証拠の拡大写真付(苦笑) |
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101系非冷房車クハ1026-モハ126-モハ125-クハ1125の写真です
適当に貼りましたの左右入違や他車の写真が混入かもです。ご注意ください |
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↑ 運転台上の通風口が可愛くパッカリ。 |
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↑↓ふふふっ、AK3が対称位置に2つも吊り下がっている。
ダブルで「糠ヌカヌカ糠〜っ!」ええぞなもし |
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↑山岳線用として大容量の抵抗器を積んだ迫力の床下。
勾配連続力行や抑速ブレーキの回生失効対策のこの抵抗器に痺れた当時の店主。 |
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↑時代は向い合わせのクロスシート終了と思う店主。立ち席は論外の時代に。立たせればマイカーに移転するだけ。
話すわけでもない向かいの人と顔と膝つき合わせて長時間座っているのは苦痛以外の何物でもなく景色どころか寝るしかない。足の移動も気を遣う。
数年前、三峰口から直通に乗車したら所沢あたりで座ること自体が厳しくなった。
京急2100のように一斉転換クロス式にして貰えば、進行方向限定、多少シートピッチが狭くてもどれほど楽に乗車出来るか。
低所得化が進行している現今、無料の発駅、大駅で着席保証などにして急行を「乗りたい」座席の列車にしていただき、西武秩父線を活性化願いたい。 |
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※店名略称:フィルムスキャンs、通称店名:鈴木写真変電所
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