【京浜電鉄歴史】
大正時代に北馬場・南馬場の統合計画もくろむ
2022.07.16 Ver1.15
北馬場、南馬場間を流れる目黒川の蛇行を直進化する大改修工事が計画されて、京浜電鉄も新たに開削される新目黒川へ橋梁を架設することになるが、同時に目黒川の蒲田側堤防に沿って開通予定の六間道路と接続する場所に目黒川電停を設置し、北馬場・南馬場を統合する計画だった。
大正15年9月9日付けで京浜電鉄から
「北馬場、南馬場」を廃止して、その中間に「目黒川停留所」を設置する「停留所新設及廃止認可」申請書が出された。

北馬場・南馬場両駅は目黒川を挟んで駅間が、運賃用の駅哩表で02哩(約321.8m)、廃止申請書記載は18鎖27節(約367m)の短距離であった。
廃止申請書の理由は
(1) 駅間18鎖27節(約367m)の短距離
(2) 電車運転の円滑を欠く
(3) 発着に時間を要す
(4) 一般乗客に不便を与える※チョイチョイ止まる意味か
(5) 目黒川改修に伴って南側に六間道路が建設され、新旧国道間の流れは此の道路になる
(6) 六間道路に接続する駅(※目黒川電停)を新設し一層の利便を計るので両駅を廃止
と言う構想であった。
 起案担当者の説明図 赤字で新設「目黒川」と記載されている
 怒濤の南北馬場統合反対運動
統合反対運動は品川の旧東海道側の各町内会をまとめる品川町会(連合町内会的な組織)が全町内会が統合に反対する。と決議して
東京府知事に北馬場、南馬場の存続に関する陳情書を提出する等、強力な抑止策を打って出た。
鉄道省は内部に廃止の異論はあったものの、昭和3年1月11日南北馬場の廃止を許可してしまう。しかし、廃止許可は得たものの、町内会の勢いに京浜電鉄は、いろいろと地元対策を行ったようだが「腰が砕けた」状況に陥ってしまう。此の時点では地元の勢いがあった。
 
↑↑↑ちょっと打ち直してみます
(南北馬場)この2カ所は少しと言うも多しという可らず
先年(M41) 北品川(方向)大横町停留場を廃止、さらに今回1カ所を撤廃せんとするは不便その度を加ふるものにして品川町中部繁盛地をして著しく衰退(中略)
今回会社が設置せんとする場所の適不適は将来未知数に属するモノにして目下事実上現在の場所を以て最も適当なるものと信ず。
停留場の位置は都市または都市に近接するに従って益々近距離となるは交通上の原則にして是至る所に発見(中略)
「発着の時間を費やし乗客の不便を興ふる」と云うと誰も之の全く本町民の交通利益を度外視し営に経営上の利益のみを考慮したる営利本位の主張にして決して乗客一般の不便となるものにあらざるは現在の実況によりて明らか(以下略)
と結構、突っ込んでいます
地図で見る目黒川の変化と新国道
↑明治43年発行の地図 橋が3カ所しかない
 ↑昭和4年発行の地図
【此の地図の注目点】
■目黒川の拡幅、直進化工事を行った。
■新目黒川に東京府の全額補助で京急電鉄の新橋梁を架設
■六間道路の開通(上記地図緑色)
■蛇行した旧目黒川(明治43年地図)変更部分は「廃川」(はいせん?)になった
■京浜電鉄の旧目黒川の橋梁自体は理由不明だが、当面残された
■計画された「目黒川」電停は無い。
■大森海岸付近から八ツ山まで用地買収して、建設が進められた新国道(現:国道15号線)も開通した 
 新国道の拡張・新設にまつわるページ
 ※鶴見川トロッコ平面交差事件も開通を急ぐあまり。の担当者の暴走→こちら
 ※京浜電鉄初のガーター橋梁上ホームの鈴ヶ森駅誕生→こちら
目黒川の改修工事
上記の地図のとおり目黒川の直進化、川幅拡幅の大工事を行った
京浜電鉄は大正15年5月17日付で目黒川橋梁掛け替えは電車運行中の工事が困難なので、仮線を敷設して工事を進めたいと、仮線設置の許可申請を出した。
下記の新目黒川の番号は下の最終期の姿と対照するための橋脚の便宜番号※写真は方向が逆
仮設の架線柱は上下とも3本づつ。電桿式聚電装置時代だから此の本数で済んだんだろうか?
 ↑橋梁と橋脚が残る最後の時代
中央の橋梁が大きいので何とか写り、両端の橋梁はほんの少し写ってる 
仮線で運行中に水の無い橋脚と橋梁を施工、完成して新目黒川を開削した 
→高輪(品川)方
地元市民の強硬な反対運動もあり、駅の廃止を実施出来ずにいたら、日支事変発生以来、付近の工業の発展にともなって乗降客が激増し、廃止困難となって従前のまま存置することになった。
しかし、役所としては何時までも許可した廃止を宙ぶらりんに出来ず、書類的にキッチリするよう京浜電鉄に指導を行った
既に廃止届を許可されているので、改めて 昭和15年8月16日付で京浜電鉄から、昭和3年1月11日に許可された南北馬場停留場の廃止許可取消願、そして改めて「北馬場、南馬場停留所」の設置許可願を提出した。
と同時に昭和15年9月26日付で「目黒川停留所」の廃止届を提出。昭和16年6月15日付で認可されて、京浜電鉄の駅統合計画、「目黒川停留所」はマボロシ~ッ!になって挫折してしまった。
その後、両駅の踏切や乗降ホーム位置などの変更がありますが、多少些末な話なので105年後
にでも(笑) 
昭和40年代になって踏切解消のための直上高架方式による高架化が計画され、京浜急行電鉄は町勢の衰えを見逃さず、高架案に再び南北馬場駅の統合を計画。
駅名も失敗した「目黒川」を捨て、「新馬場」としてリニューアルし、2駅より統合1駅の事業費用削減もアピールし、立体化計画に盛り込むことに成功。遂に悲願の統一を果たした。
 →南北馬場高架 統合工事
[参考文献] 日本鉄道旅行地図帳 今尾恵介様監修 新潮社
 御礼申し上げます。 
 京 浜 電 鉄 歴 史 探 索(京浜急行電鉄も)
※全項目、資料等発見次第、随時補訂しています。各ページのVer.Up年月日でご判断を
最近の補訂(2023.06.27 リセット)
 車  両
デ1号形(Not 湘南)  デ21号形の形態疑惑? デ26号形 豪華外装車  デ29号形 デ41号形(最後の木造形)
デ101号形   デ11,14,18号形   
ボギー無蓋電動貨車1001,1002号    ボギー無蓋電動貨車1003~1005,1006号  ボギー有蓋ボギー電動貨車1007とその後の増備車    
 ホーム嵩上,車両改造  軌道線全車パンタ化 連結運転開始,湘南ト1形      
 2軸台車の無蓋電動貨車と無蓋付随貨車  T13.08日立台車パンフ 
 運  転
  改軌前後の急行運転 貨物営業と扱い駅       
 路  線
   湘南電鉄 逗子線  逗子線の3線区間    
海上走る汐留線(京急)  東京市内線と泉岳寺乗り入れ(京急) 東京市内線,汐留線申請は関東大震災直後だった  京浜川崎と国鉄川崎駅間の貨物連絡線敷設  海岸電気軌道 
品川駅(Ⅰ~Ⅲ)の変遷
複式架線・構内線路追加  
品川(Ⅲ)開業
品川~横浜主要駅の改軌
八ツ山橋梁増設
と線路移設
のナゾ
高輪駅乗入とその後  青山延長線
(高輪~白金猿町)
(Ⅰ)南北馬場統合失敗
  目黒川電停は幻に
 (Ⅱ)南北馬場統合工事  鮫洲地上駅時代(京急) 濱川駅廃止と地元の反対  鮫洲駅移転と地元の反対
鈴ヶ森駅と鈴ヶ森架道橋  大森支線 【六郷橋梁】~京浜川崎  穴守線進駐軍の線路占用  出村駅+待避設備新設 
仲木戸駅待避設備新設   生麦駅と待避設備 生麦車庫   神奈川~新町間の変遷
省横浜駅Ⅲに乗入れまで 鉄道省横浜駅移転3代の図  横浜駅と周辺 1969~  鎌倉金沢電鉄の敷設申請 湘南電気鉄道(工事申請)
金沢文庫~鎌倉八幡 
 
鶴見~小机支線の敷設申請  橘樹(たちばな)電気軌道
の敷設申請
  
トロッコ(土取線)交差 神奈川台場と東高島駅
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