【京浜電鉄歴史】
線路・駅の変遷 (新町~神奈川編)

2023.01.21 Ver2.01
補訂:仲木戸高架工事完成報告書追加
 ↑明治42年4月30日発行「神奈川」、明治41年10月30日発行「横浜」を突合加工
【地図の状況】
横浜駅Ⅰはまだ桜木町にあって、東海道線は陸軍の短絡線を改良活用した平沼短絡線の時代。
組版の際、担当職員が「横浜、神奈川」双方地図を突合しなかったのか、境界の形状が合致しない状態は各年代の地図に共通する。
■京浜電鉄 神奈川駅
明治38年12月24日開業
 京浜電鉄の横浜方の終点「神奈川駅」は地図双方の突合点にあり、駅の印が地図の接続部分(神奈川の赤線部分)に少しだけある。埋め立て地の付け根に突っ込む様に駅を建設。若干カーブした引き上げ線らしき線も
神奈川駅は地図ではわかりにくい。
現在資料が無く、この当時は2線構成としか推測出来ない

【地図からの想像】
神奈川駅終点より先は埋め立て地で旅客需要は工場通勤者ぐらいか。
当初の京浜電鉄は仲木戸、反町電停周辺ならびに神奈川台場周辺と現在の京急神奈川駅周辺の神奈川宿あたりの人流が目的だったと思われる。
【神奈川から横浜中心部延長の実際】
高島嘉右衛門埋め立ての土地を軸に埋め立ては拡大に動いているが、戸部や桜木町方面に線路を敷設するためには土地造成に巨額の資金が必要で、田畑の買収のように簡単?に購入することは出来ず、まさしく「ネック」な海上造成土地であった。
【京浜電鉄が神奈川駅の先に延伸】
国鉄の横浜駅Ⅲ移転による土地の整理計画に参加?して京浜線の付替や周辺整理が確定するまで、線路延伸は指をくわえているしかなかった。→横浜駅Ⅰ~Ⅲ代の移転ページ
 中木戸(仲木戸)停留所の立体交差化
■中木戸停留所
 地平にある。中木戸駅は大正4年~大正10年(1915~21)の間に仲木戸に変更された※1による
■反町停留所
 品川方は滝の川を中心にV字地形のため、前後に築堤を作って、滝の川と道路を跨いだ
 この時代に架橋するとは豪勢なお話。橋脚はまさかの木??の訳ないか。
横浜鉄道が貨物線(複線表記)を海神奈川駅に延伸するため、京浜電鉄中木戸駅を高架化した
仲木戸駅へは海側、山側双方から坂道を造成して構内踏切付きの駅とした山側の坂道に道路を跨ぐ橋を架橋した。勾配途中に豪華に左右双方から道を付けた踏切も。左右方向の人流があった? 
※認可書類の一部変更願が明治42年9月14日付で認可されているので、この辺りが工事最盛期?
※完成はM43.07.29で本日を以て使用開始と神奈川県が鉄道院に報告を上げている。
 横浜鉄道貨物線が開業(M44.12.10)する1年以上前に完成した
通常、後から建設した横浜鉄道の線路が京浜電鉄をオーバークロスするのでは?と考えるが、京浜電鉄をオーバークロスする地点まで、東神奈川駅方向からの短距離で蒸気機関車が貨車を牽引して登坂出来るような線路勾配の距離を取れ無かった。電車の運行で勾配運転も身軽な京浜電鉄に高架化を懇願?したのではと考えられる。
現在の京急線路の両側の側道は高架化のための仮線の跡地?とか妄想が湧く
 
↑↓交差工事届出の再度変更願
明治41年3月11日付の認可を一部変更したいと
明治42年7月14日付けで県に願出。県は国へ回議
国は審議の上、県知事宛に認可通知。明治42年9月14日付
 
 
↑工事完成報告
明治43年7月29日(本日)から使用開始と神奈川県が鉄道院に報告
  
 神奈川駅界隈の賑わい
↑大正12年10月発行
国鉄は横浜駅を現在の高島町交差点付近に横浜駅Ⅱとして移設し、
京浜電鉄の神奈川駅終点から先の桜木町方面は東海道線と京浜線電車(省線)が並列で、横浜電気鉄道(市電)も線路に沿った道路を走行。
※京浜電鉄神奈川駅はM43.03.02に終点軌道位置変更を同年07.07に認可、横浜電気鉄道と乗換用共用ホーム、上屋を整備して明治43年11月29日(竣工届)から使用を開始した。
地図では「共用ホーム」が描かれていない。
また、地図からは京浜電鉄の線路を桜木町方面に入れ込む余地が無いのが判る。
 
 ↑線路を一部移設して上屋を整備した図面
      仮横浜駅(月見橋)延伸まで此の形態のよう
 神奈川駅が4駅(停留所含む)あった時代(大震災後の横浜駅Ⅱ時代)
  ↑神奈川の名を冠する駅(停留所)が京浜線、京浜電鉄、東横電鉄、横浜市電と4駅も集中。
  昭和2年修正測量、同04.02.28発行
※東横電鉄はT15.02.14に丸子多摩川から神奈川まで開通。神奈川駅は築堤の上に作られた
神奈川駅周辺は横浜の一大交通接続点の様に見えるが、それは僅かの間。
関東大震災の後に横浜駅(Ⅲ)が地図下部の「横浜駅Ⅲ建設場所」に移転してきて、昭和3年(1928)10.15に開業し、機能は横浜駅中心となって各社の「神奈川駅」は廃止、または単なる駅、停留所になってしまった。
この地図の修正測量の時期には埋め立て工事中で、ツルハシマークで表され、超スピードで埋め立て、三代目横浜駅の建設が急がれたか判る。
 
  此の時代を基にした図面(京浜電鉄月見橋方面延伸予定図)を加工↑※東横除く
 反町駅(停留所)が2カ所あった時代 (横浜駅Ⅲ時代)
京浜電鉄横浜駅乗り入れの目途が立つ (上記地図の拡大)
  
S05.12.28発行(S4.部分測量修正)の地図。横浜駅はⅢ代目に修正されている。
以下上記の地図を主体に下方にS29.03.30発行の地図とS21.03.09の空中写真を掲載しましたので、
一括して比較します。
地図上の交通機関が神奈川区に最も駅(停留所)あった時代 (以下、停留所は駅で代称します)
横浜市電 神奈川付近
 高島橋が架かる運河を埋め立てて道路にし、線路を移設している。
 京浜電鉄省横浜駅Ⅲに乗入の第1歩
省京浜線 神奈川駅
 S03.10.15の横浜駅Ⅲ開業にともなって廃止された
 線路の移設を行ってこれによって京浜電鉄が横浜駅Ⅲに乗り入れる線路用地に目途が付いた
 京浜電鉄省横浜駅Ⅲに乗入の第2歩から完歩へ 
 (1) 鉄道省の京浜線移設計画がまとまり、乗り入れに必要な跡地等を買収。
 (2) 月見橋際まで延伸して(仮)横浜駅を設ける
 (3) 月見橋を架橋
 (4) 鉄道省横浜駅(Ⅲ)に乗入
 ※上記(1)~(4)については改めて記載します

京浜神奈川駅Ⅱ代目(青木橋)(S21空中写真)
 反町駅を廃止して、神奈川駅も200m川崎方の青木橋の際にS05.03.29に青木橋駅として開設
 その8日後「京浜神奈川」と改称した
東横 神奈川駅(+S21空中写真)
 T15.02.14~S03.10.15 国鉄神奈川駅に近接して開設、営業
 S03.10.16~S25.04.08   国鉄神奈川駅廃止に伴い、高島山隧道脇に移転、戦災休止後、S25廃止
京浜 反町駅
 
M38.12.24京浜電気鉄道開業時に開設され、S05.03.28に廃止、翌日から青木橋が代替駅となった
 ※線路の両側を横浜市電に挟まれてしまい、伊勢佐木町、桜木町方面の繁華街は市電が圧倒的に
  有利な状況となって万事窮す?仲木戸、神奈川との駅間も短かったので整理された?
東横 反町駅
 
T15.02.14東京横浜電鉄渋谷~神奈川開業時に設置されて現存する
 ※都心、渋谷へは圧倒的に優位な状況の駅
   ※戦災の後長い間、駅は復活しなかった※T
東横 新太田町駅
 
開業時に開設されたが、戦況極悪の中、戦災※Tにより休止された。
 その後S24.03.15~同06.16迄反町、野毛の2箇所で「日本貿易博覧会」が開催され、反町会場の旅客輸送対策として期間中「博覧会場前駅」として名称変更して臨時営業し、終了後廃止された。
 なお、2会場の交通対策については戦後直ぐにもかかわらず、市交通局の市電、バスの特別運行や花電車5台をはじめとする特別体制がとられた。※下記資料より
 日本貿易博覧会の詳細は「横浜市デジタルアーカイブ・都市横浜の記憶」に資料・写真ページがある
東横 神奈川荷扱駅
 ※1の東横線の駅の中に記載されている。
 東横神奈川駅(起点23.8km)~神奈川荷扱い駅(同24.0km)~横浜駅(同24.2km)地図上では丁度運河上になるが・・・。。
■国鉄横浜駅Ⅲ
 S03.10.15に3代目が開業
■京浜 横浜延長
 
国鉄が横浜駅Ⅲを開業するに当たって至近距離の神奈川駅を廃止することとなり、延伸を出願する
 S04.06.22 横浜(仮)駅(※月見橋)まで路線の延長を行った。S03.10特許取得
 S05.02.05
横浜駅Ⅲまで新田間川に架橋して延伸した。S04.04特許取得
■東横 横浜駅
(+空中写真)
 S3.05.18に仮駅で開業、同年10.15に島式ホームで本開業した
■東横 高島駅
 S03.05.18に神奈川から延長開業して「高島」としたが、3ヶ月もしないうちに「本横浜」と改称された。さらにS06.01.20に「高島町」に改称。約2年半の間に3回の改称を行った駅
京浜 新町駅
 
車庫の姿はまだ無い。日本製鋼所の工場が立地しており、移転に伴って国鉄と土地を分けて購入したのでは無かろうかという状況。※一部は戦後米軍にミルクプラント用地として接収されている。
※T:鉄道ピクトリアル335号 柳江耕二様「その頃の東横線」を参考
■省京浜線 横浜付近
 測量時点では海側の市電道路脇の線路で営業中。横浜駅Ⅲから築堤で桜木町に至る線路工事中。
 移設完了後に京浜電鉄の横浜駅への線路延伸工事が始まる
 地図上では貨物高架線が残っており、撤去寸前の図(S4年(1929)9.16廃止)と思われる。
 ※昭和6年~S28年の間に発行された1~2万分の1国土地理院の地図は捜索中です。発掘出来るのか??
[参考文献] 御礼申し上げます
京浜電気鉄道沿革誌、日野原保様 鉄道関係文集、京浜急行80年史
日本鉄道旅行地図帳 新潮社 今尾恵介様 監修
 京 浜 電 鉄 歴 史 探 索(京浜急行電鉄も)
※全項目、資料等発見次第、随時補訂しています。各ページのVer.Up年月日でご判断を
最近の補訂(2023.06.27 リセット)
 車  両
デ1号形(Not 湘南)  デ21号形の形態疑惑? デ26号形 豪華外装車  デ29号形 デ41号形(最後の木造形)
デ101号形   デ11,14,18号形   
ボギー無蓋電動貨車1001,1002号    ボギー無蓋電動貨車1003~1005,1006号  ボギー有蓋ボギー電動貨車1007とその後の増備車    
 ホーム嵩上,車両改造  軌道線全車パンタ化 連結運転開始,湘南ト1形      
 2軸台車の無蓋電動貨車と無蓋付随貨車  T13.08日立台車パンフ 
 運  転
  改軌前後の急行運転 貨物営業と扱い駅       
 路  線
   湘南電鉄 逗子線  逗子線の3線区間    
海上走る汐留線(京急)  東京市内線と泉岳寺乗り入れ(京急) 東京市内線,汐留線申請は関東大震災直後だった  京浜川崎と国鉄川崎駅間の貨物連絡線敷設  海岸電気軌道 
品川駅(Ⅰ~Ⅲ)の変遷
複式架線・構内線路追加  
品川(Ⅲ)開業
品川~横浜主要駅の改軌
八ツ山橋梁増設
と線路移設
のナゾ
高輪駅乗入とその後  青山延長線
(高輪~白金猿町)
(Ⅰ)南北馬場統合失敗
  目黒川電停は幻に
 (Ⅱ)南北馬場統合工事  鮫洲地上駅時代(京急) 濱川駅廃止と地元の反対  鮫洲駅移転と地元の反対
鈴ヶ森駅と鈴ヶ森架道橋  大森支線 【六郷橋梁】~京浜川崎  穴守線進駐軍の線路占用  出村駅+待避設備新設 
仲木戸駅待避設備新設   生麦駅と待避設備 生麦車庫   神奈川~新町間の変遷
省横浜駅Ⅲに乗入れまで 鉄道省横浜駅移転3代の図  横浜駅と周辺 1969~  鎌倉金沢電鉄の敷設申請 湘南電気鉄道(工事申請)
金沢文庫~鎌倉八幡 
 
鶴見~小机支線の敷設申請  橘樹(たちばな)電気軌道
の敷設申請
  
トロッコ(土取線)交差 神奈川台場と東高島駅
京急昭和1-230形 京急昭和1-(3)未更新車 京急昭和(その2)400形~600形 京急昭和(その3)1000形
400/500形(鳥見塚) 600形(鳥見塚) 700形 1000形(鳥見塚) 雪の日の思い出
          
杉田曲線改良・2扉500形 逗子線3線区間 
2021.05以降の怒濤のアップ+増補のページ(苦笑)
撮影年代は「頃」ですが、未検証なので、違う場合もあります $(_ _)$
YOKOHAMA AIR CABIN   瑞穂橋梁(ノースドッグ引込線) 高島貨物線と接続引込線,高島駅 高島貨物線撮影記2021   
ここ貼れワンワン-01  ここ貼れワンワン-02  ここ貼れワンワン-03
京成電車 湘南モノレール(1) (2) 東急各線の昔  山下埠頭~八景の海岸今昔比較
伊豆箱根鉄道 駿豆本線   京王線5000系時代 井の頭線 /紫陽花2009 名鉄 揖斐・谷汲、市内線  名鉄-美濃町線  
  青春の鉄門  横軽EF63と録音  東北新幹線上野開業・米沢・赤岩   会津の記憶  仙石線(その2)  
洋光台開業  叡山電車 広島電鉄  南海電鉄  近 鉄 
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